時事放言7

自民党の二階幹事長が女性天皇について容認する発言をしたようだが、これについて考えもなく否定をするのは、男尊女卑と思われても致し方ない。

女性天皇というのは、日本の歴史を振り返ってみても確かに存在する歴史的事実。

問題なのは、女性天皇ではなく、女系天皇である。

日本という国は天皇制が出来て以来、一貫して男子による万世一系で繋がれてきた。

つまり、女性が天皇になることはあっても、その子孫が天皇の位につくことはない。

どんなに血が遠くなろうと、あくまでも皇室は男子一系統で続いてきた。

これが今日でも続いているのは日本だけであり、他の国ではとうに潰えている。

この血筋が絶えることなく守られてきたというのが、日本国の伝統ともいえる。

右翼やネトウヨなどと揶揄されている人たちの中であっても、知識と良識を持っている人間であれば、女性天皇を何ら否定しないだろう。

問題はあくまでも、女系天皇が容認されるのか否かだけである。

この先も未来永劫に渡り、これまでの伝統が続いていくことが望ましいと私は思うが、どうしても無理になる時がいつかは来るのかも知れない。来て欲しくはないが。

近代になって側室の制度もなくなり、男子が常に生まれる保証もなくなった。

もちろん男子の血が途絶えて、女系天皇が容認される時代が来ても、日本という国が素晴らしい国であるという事実は何ら揺らがない。揺らがないけれど、その時に唯一無二の伝統は終わり、日本という国は全く別の国になる。あくまでそれは精神的な意味においてだが。

伝統という文化の連続性が途切れることについて、私はやはり些かの恐怖を覚える。

伝統が終わったとしても、いつかは慣れるかも知れない。いや、慣れるだろう。けれども万が一そうなった時、伝統を守ってきた先人たち、そしてこれから生まれる新世代に対して、私たちは一体どう申し開きをすればいいのか。

しがない日本国民の端くれとして、これだけは書いておきたかった。