言葉の話7

文章は誰にでも読める解りやすい言葉で書きましょうって、色んな人たち(主にブロガー)が言うんだけどさ、その境界線は誰が定義するのかと聞きたい。

というか、普通に大人が文章を書く時に、小学生が読むことを想定して書くかね?

こっちは小並感(小学生並みの感想)が欲しくて文章を書いている訳じゃないんだよ。リアル小学生だろうが、見た目は大人頭脳は子供の奴だろうが、私の文章を本気で読みたいんだったら、辞書を片手についてこい。

難しい言葉とは言うけどさ、言葉ってのは使えば使うほど普通の言葉になるんだよ。だから君にとっては聞き慣れない難しい言葉かも知れないけど、私にとっては普通なんだよ。悪いけど。

あとさ、馬鹿の一つ覚えって言うけどさ、新しい言葉を覚えたらとにかく使ってみなきゃ自分のものに成らないんだから、大目に見てあげてくれないか。私だって最近知った言葉は、辞書を何度も何度も読み返しながら、「これで使い方合っているよね・・・?」って恐る恐る使っているんだ。

さすがに横文字の濫用にはうんざりするが・・・まぁ、明治維新による新しい日本の夜明けと共に、海外の言葉や文化が山ほど入ってきたから、それが今でも終わらずに続いているとも言えるけどね。元々日本に存在しなかった概念を、明治の頃に漢字を充てて新しい熟語を作ったものは沢山ある。

今は昔のようにわざわざ新しい日本語を作ったりしないので、そのまま横文字を使うようになり、日々見知らぬフレーズが増え続けている。

まぁ、普通に日本語を使えよって場面が多いけどね、最近は。コミットとか、未だにどういう時に使えばいいのか解らん。とりあえず、結果にコミットって言っておけば、私も痩せるかしら。

ブログの文章は妥協しないけど、普段の会話は砕けたもんだけどね。誤用もら抜きも知ったこっちゃない。普段使いの言葉まで堅苦しい奴は、さすがにちょっとめんどくさい。目上の人と話す時は、オートでちゃんとなるけどね。本能的に。

会話が成立していない時は私も頑張るけど、ブログの文章が伝わっていないからって私は知らんよ。そっちがただ頑張れ。