詩作

自分で詩は書くけど、あまり他人の詩を読むのが好きではない。

プロの作品なら好きなものもあるけど、アマの詩で好きになることはほぼない。

何でかというと、詩というのは論理の飛躍が甚だしいからです。

短い文章、少ない単語、限られた文字数の中で言いたいことを表現するというのは、とても難しいのですよ。

だらだらと余分な情報が増えて冗長な文章になれば、それは詩という形態を離れ、小説と呼ばれる属性のものになる。

凝縮された表現の塊こそが詩であって、贅肉に埋もれた文章は詩ではない。

削ぎ落とし、研ぎ澄まし、筋肉質で無駄のない文章だけが詩と呼ばれる。

余分な情報が何もないが故に、他人の詩を読んでもほとんど訳が解らない。前後の脈絡が掴めない。なぜそういう結論になるのか戸惑う。見知らぬ異国の文化に触れた時のように、それは自分にとって全く未知の領域に等しいのです。

私は最近、短歌を詠むのに少しハマっているんだけど、他人が読んでも意味不明だろうなぁとは思う。だからといって、解りやすくする気はない。自分にとってはそれが正解なのだから、他人の正解に寄せる気もない。詩というのはそういう我が儘で、一方通行な表現なのですよ。

自分の人生経験を短い言葉に託すというのは、ほとんど無謀ともいえる試みです。通じ合えることの方が遥かに少ないでしょう。その言葉が持つ重みというのは、人それぞれ違う。その単語から連想するイメージも違う。思い浮かぶ情景、想起する記憶、それは受け手の感性や人生によって、限りなく無限に異なるものなのです。

だからこそ、詩作は楽しいのだともいえる。

だからこそ、私はその理解されることもないであろう言葉たちを放つ。

ビンに詰めた手紙を、そっと大海に放つように。

誰かの心にいつか届けば、それが幸せ。