型に嵌まらないという、型の嵌まり方

私もいくらか天邪鬼な節があるが、年を取れば取るほどダサいと思うようになった。

天邪鬼なんてものは所詮、捻くれている俺カッケーという、中二病に過ぎない。

そもそも、「俺は型に嵌まらないぜ!」という宣言自体が、もう型に嵌まったテンプレート通りではないか。

親の敷いたレールを嫌って、ミュージシャンになる?どうぞどうぞ。数年後には夢破れて、死んだ目をした社畜になるだけさ。

大勢の逆を向くなんてのは、当たり前すぎる幼稚な発想であり、誰でも思い付く。思い付くが、ほとんどの人は逆を向かず前を見て、流行を受け入れ楽しむ。その方が賢いことを知っているからだ。

私は、「流行りものが嫌い」という思想の奴らが大嫌いである。

わざわざ無理して流行にしがみつくことはない。けれど、なぜ目の敵にするのだろう。彼らは一体、何と戦っているのか。おそらくそれは、自意識だ。流行に甘んじている自分を想像して、勝手に怯えているのだ。愚かなことである。過度な自意識、屈折した自己愛、歪んだ感情の肥大を、某アニメでは自意識ライジングと呼んでいた。禍々しい自意識の塊が、真昼の月のように彼らの頭上には浮かんでいるのだろう。

苦労すれば苦労するほど、普通が一番だと思うようになる。

他人と違う自分でいたいなどと、微塵も願うことはない。

私は歓んで型に嵌まりたい。それが唯一の望みともいえる。

一本のネジが外れたばかりに、不良品として弾かれる世界なのだ。

自分がイレギュラーだと知れ渡れば、情け容赦なく迫害され、居場所がなくなる。

敷かれたレールに沿って生きるが楽さ。

レールの外は、明日をも知れぬ荒れ地ぞ。