文章の話8

小説の会話文における、「なのだけれど」が嫌いである。

あなたは今まで生きてきて、日常生活の中で「なのだけれど」という言い回しをただの一度でも使ったことがありますか?あるいは、他人が使っているのを耳にしたことがありますか?私はありません。

普通、「なんだけど」だろ。少し畏まったとしても、「なのですけど」や「なのだけど」が限界。「なのだけれど」なんて絶対に使わない。

何十年も前の小説とか、村上春樹が使うならまぁ・・・って感じだけど、最近の作家が現代を舞台にして「なのだけれど」を使っていると、凄い白ける。有り得ないし、世界観にも全く合っていない。

登場人物が若ければ「マジっすか!?」とか言わせてるんだから笑える。それでいて「なのだけれど」だもんな(大爆笑)

誰とは言わないが、最近の流行作家の作品を最初の数ページ読んだけど、会話文がテンプレの若者言葉ばっかりなのにうんざりして、すぐに読むのをやめた。

若者がコテコテの若者言葉ばかりを使う訳じゃないし、あくまでも、そういう人もいれば違う人もいる。特定の年齢で区切って、十把一絡げにテンプレ化しようとするのはとても不自然。普通の会話文でありながら、どことなく老若の年齢差を感じさせるのが作家のテクニックでしょう。

あとさ、マンガはともかく、小説はもっと会話文に品が欲しいね。読むのに時間が掛かるんだしさ。下品な文章ばかり読みたくなどない。

小説という架空の世界だからこそ、みんなが品のある言葉を使っていたっていいのよ。そうであるなら、「なのだけれど」も違和感のないその世界においては有り触れた言い回しということになる。

汚いものを見せたから、暴力的なものを描いたから、たったその程度のことで人間の真実を表現できたなんて、安直に思わないで下さいね。

醜さもあれば、美しさもある。人間というものは一筋縄では表現できないのです。