運命という名の列車

彼女に関する自分の中のイメージが二つばかりある。未来予知というほど大げさなもんじゃないが。

まず一つ目は列車に乗って遠くに行くイメージ。ちょっと遠出とかいう感じじゃないな。何かもう旅っていう感じ。あの人とちゃんと話がしたいと思う時、どこかの店とかじゃなくて、列車の中で隣に座って話すイメージなんだよな。ほんと不思議なんだけど、なぜかこういうシーンが浮かぶんだ。そこで僕たちは長い長い話をする。自分の今までの人生がどんなものであったか、今後どうしたいと思っているか、二人の未来がどうなるべきか、色んな話をする。

実際、金に余裕があれば日本各地を旅して回りたいとも思う。旅行はどこに行くかではなく、誰と行くか。僕は君とだけはどこへでも行きたい。逆にずっと家の中で一緒にいてもいい。でも最初はなぜか列車の中のイメージなんだ。

二つ目は会社の飲み会になぜか私も参加してるイメージ。去年、縁あって一瞬だけ同じ職場にいたんだけど、それはあくまで超一時的な話で社員だった訳じゃない。一応、ツテを頼ればそういう話もない訳じゃないんだけどね、飲み会レベルの話はね。

その飲み会の席で僕らは再会を果たす。おそらく僕らは末端の席に隣で座る。この先のイメージはバージョンが二つある。一つ目は会話の流れで私がブログをやっていることを伝える。彼女がブログに興味を持ち、読みたいと言う。ここで私はブログは誰にでも教えている訳じゃない、それを望むのであれば電話番号を教えて欲しいと言う。ショートメールでURLを教えるからと言う。もしブログを見て僕のことを嫌いにならなければ、またお会い出来ませんか?今度は二人だけで。と言う。

もう一つのバージョンは、会話の流れでなぜか彼女が私の膝に手を置く。ここからさらにイメージは分岐する。若菜さんは付き合っている人がいるんですよね?もしそうなら、男の膝に手を置くのは良くないと私が言うバージョン。

彼女が膝に手を置いた時に、私がその手を握るバージョンもある。そして目を見つめる。私の目を見つめ返さない場合は、なぜ君が先に膝に手を置いたのに僕と目を合わせないんだと言う。そのまま見つめあった場合、またお会い出来ませんか?今度は二人だけでと言う。

改めて言うけど、これ全部イメージの話ね。なぜか浮かんでくるのこういうのが。

この「今度は二人だけで」っていうセリフは、彼女が彼氏(仮)に対し「二人だけで」という言葉を用いたからあえて使う意味合いもある。俺だって君と二人だけで会いたいと思ってんだぞという意思表明。これもイメージを自分で解釈してるだけね。