箱庭

女関係のことでは、その人との未来についてかなり克明に情景が思い浮かぶんだけども、これって別の世界線の話なんですかね。考えようとして思い付いているんじゃなくて、物語が流れ込んでくるように映像が脳内で展開されていくんですよ。何これ。場所や自分や相手が話すことが鮮明に浮かび、短編映画が突然に始まる。ある種の啓示のようにも思えるが、一人だけでなく複数人についてそれぞれ別個のお話。話は繋がっていないし、当然ながら現実で選べる女の子は一人だけ。この人を選んだ場合、そういう未来に辿り着いたかも知れないということなのだろうか。実に不思議である。特に妄想癖はない。小説を書くのも好きだけど苦手だし。普段、自発的に空想にふけることなどない。

最近やってるノベルゲームでも、世界が箱庭みたいな感じでキャラがメタ発言をするくだりが間に挟まれていたり、一つのルートが終わるごとにエンディング後「はいどうもお疲れ様」みたくキャラが思いっ切りメタ発言をするくだりが絶対にあるんだが、これはゲーム自体が箱庭の作り物の世界ってテーマだからこういう演出なんだなぁって思って、まぁそれはそれで悪くないんだけど(ある種の茶々入れを挟むことでシリアスな展開になっても苦しくなり過ぎないで済むというか。安心してください、フィクションですよ!っていう)、それと同時にクリア後の「選んでくれてありがとう」みたいなセリフで何か泣きそうになる。何かを選ぶということは、取りも直さずそれ以外の全てを選ばないということであり、誰かだけを選ぶことの重さ、誰かにだけ選ばれることの嬉しさというものを如実に感じる。

何かこうゲームと同じ感じで、人生も予めプログラミングされてる世界を生きているように思えてならない。僕らは本当に自由なのだろうか?自由とは何なのだろうか?

僕らは毎日、選択をする。些末なことから人生を左右することまで。その選択は本当に正しかったのだろうか?そして、選び続けたあみだくじの先には一体なにが待っているというのだろう。誰が待っているというのだろう。今のところ一切、皆目見当がつかない。

箱庭で生きるライフ。

泣いても笑っても、一度きりのライフ。

この命が尽きる前に、もう一度だけ君に会いたい。