俵万智の話。
プーさんの鼻。
生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり。
タイトルにもなっている、プーさんの鼻ですね。
これは俺も最近気になっていることで。
なんで赤ちゃんは物をつかめるんだろう。
意味わかる?
自分は物をつかむことができる。
誰に教わった訳でもないのに。
物をつかむ、ひっぱる。
なんでできる?
言葉を理解する不思議の前に、物をつかめるというのが俺は不思議に思っている。
プーさんの鼻は子供の話ばかりでどれでもネタにできるけど、なんかどれも当たり前のことばかりであんまりおもしろくないというか。
年末の銀座を行けばもとはみな赤ちゃんだった人たちの群れとか。
私から生まれ私に似ているが私ではない私のむすことか。
記事を一つ書こうと思えば書けるけど、なんかふつーだなって思う。
なんつーか、子供ができるとみんな同じことを思うんだなって感じ。
恋する万智ちゃんも母親になれば、ふつうの人。
子供が愛しくて愛しくて。
自分も母親にこうやって育てられてきたのだと思う。
自分に子供ができて初めて思う。
ありがたい。
感謝。
うん。
凄くふつうだ。
俺に子供ができても同じことを思うだろう。
俺は親父が嫌いだったけど。
俺が生まれてきた時にこんなに歓んでくれたのかと思うと考え方も変わるでしょう。
理屈の上ではそうなんだ。
その場面を想像すれば今すぐにでも親父を許すことができる。
でも無理なんだ。
それはあくまでも想像の話だから。
実際に俺に子供ができたら考え方が変わる。
それは絶対にそうなる。
だいたいの物事は許せるようになる。
だって人はみな赤ちゃんだったのだから。
プーさんの鼻をつかむ。
それだけで幸せだった時がある。
僕らはいつの間にか多くのことを望みすぎていたのではないか。
物をつかむだけで幸せだった時に帰ろう。
生きるとは、手をのばすことなのだから。
幸せはすぐにつかめるよ。
ほら、あともう少し。