いずれは誰かが

今日のダーリンで、ほとんどの日記は、「いずれは誰かが読むだろう」と思って書かれているのではないかと書いているけど。

本当にそうだね。

俺はアクセス数0でも書いてきたから。

いずれ読むであろう誰かのために書いてきた。

俺のブログをリアルタイムで読み続けてきた人は皆無に等しい。

実際、アクセス数0の時もたびたびあった訳だし。

それでもやっぱり、いつかは誰かが読んでくれるだろうと思って書いてきた。

特によっぽど仲のよくなった彼女には教えるだろう。

ブログのせいで別れることになるかも知れない。

それはそれで仕方がないだろう。

俺という人間の実際はこれなのだ。

けれど、ブログがすべてという訳でもない。

もちろん、話している時の俺もすべてではない。

両方だ。

俺の言葉と思想は、喋りにも文章にも表れるが、それぞれ独立している。

どっちも知ってほしい。

いつか出会う。

あるいは再会する。

あなたにだけは知ってほしくて。