膝を抱えて待ってる

俺って鬱が酷い時に、マジで部屋のすみっこで膝を抱えるんだよね。

比喩とか例え話じゃない。

本当に部屋という世界のはじっこで膝を抱える。

体育座りといえば、昔の校長の訳の解らない長い話や、全くおもしろくもない体育の授業を思い出す。

今日初めて思ったのは、目線が下がるということ。

子供の目線になる。

生まれたての僕らの前にはただ果てしない未来があって、それを信じてれば何も恐れずにいられた訳なんですけど……。

いつからこんな人生になったんですかね。

勉強も運動もできない。

コミュ障。

昔は自己肯定感も最低だったし、何もできる気がしなかった。

仕事でグッと自己肯定感は上がったけど。

仕事を辞めてから燃え尽き症候群になった。

20代で精神病の薬は飲んでいたけど。

辞めてから鬱は悪化するばかり。

ついには就労移行支援にも通えなくなり、引きこもり。

仕事は完全に諦め、年金生活

親が死んでも10年くらいはなんとかなるだろう。

その先は知らん。

俺の消えたいタイミングで消える。

メシが食えなくなったら消えるしかない。

世界のはじっこで膝を抱えるほどの無力感。

俺には何もない。

先もあともない。

現在に置き去りにされている。

いつも今で。

今しかなくて。

でも、どこにも辿り着けなくて。

今だけが過ぎていく。

二度と戻らない今が。

膝を抱えて何を待っているのだろう。

何も起きない。

誰も訪ねて来ない。

俺の孤独は誰にも理解できない。

世界のはじっこに置き去りにされた男は。

いつからか考えることを放棄した。

自分という存在はいないも同然なのだと。

空白の男が膝を抱えて孤独に耐えていることを、この宇宙の誰も知らない。