他人の空似

マコに似ている人としばらく一緒に活動することになりそうだけど、だからといって別にどうということはない。

不思議なもんで、自分と縁が深い人、それが良縁であれ悪縁であれ、人生で何度もめぐり逢う。見た目が似てたり、中身が似てたり、そして過去にあったような同じ課題に何度もぶち当たったり。それがカルマなのか。

でも俺が会いたいのは若菜さん系、というか、若菜さんその人なんだがなぁ。

7月21日はいったいなんの日でしたか?

だから文句があるなら選挙に行けって。それが民主主義。ツイッターでも言っておいた。

当日、この投票率の低さよ。

まーた明日からも結局選挙に行かなかった奴らが文句ばっか言うんだろうな。アホらしくて言葉もないわ。

なんだかんだ言っても、日本は平和で満たされた余裕のある自由な国なんだね。一票の重さがまるで解っていない。選挙権の尊さがまるで解っていない。民主主義の素晴らしさが何も解っていない。まだまだ・・・下には下がいるから・・・治安も最悪で、自由もへったくれもない国なんていくらでも・・・別に他国なんて関係ないけど。

あれもこれも他人事ですか。

国家とはあなたと切り離された別個の存在ではなく、あなたの一部なのですよ?

愛、述べる

それ以外になにができんだよ。

まだ気持ちの整理がつかない。

自分以外のことで、家族以外のことで、こんな気持ちになったのは、本当に10年ぶりだ。ずっとずっと自分だけが辛いと思っていた。もちろんそれは相対的な問題ではなく俺の中では苦しくて苦しくて苦しすぎることで、他のなにかと比べたからどうだという問題ではないのだけど、今回ばかりは・・・今回ばかりは他人のことで苦しすぎた。切なすぎた。悲しすぎた。辛すぎた。絶句した。言葉を失う。なんて言えばいいのか解らなくなる。

いったい、世の中なにがどうなってんのか解らなくなってきた。

どうすれば世の中は良くなっていくのか。人々は辛い思いをせずに済むのか。

愛を述べることから始めたい。それがいつか、自分の人生そのものになっていく。

無題

京都アニメーションが、何でこんなことに・・・。

まったくの偶然でハルヒの1話をみた時の衝撃は、今でも忘れられない。

今だって、ちょうど氷菓の3話をみている途中だった。

何でこんな事件を引き起こしたのか知る由もないが、一報を聞いて思い浮かべた人物がいる。詳しくは知らない。あくまでも俺の中でのイメージだ。かわいさ余って憎さ百倍、歪んだ愛着、屈折した愛情。ジョン・レノンを撃ち殺したマーク・チャップマンを想起した。

何でどうしてと言えばキリがない。

人がいつ死ぬかなんて誰にも解らない。

明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ。そうやって生きていくだけだ。

言わんのバカ

何も言わないで思いが伝わるだろうなど、この世で最も愚かな思い込みだ。

思っていることは、感じていることは、言葉にして伝えなさい。

必ず、必ず、必ず言葉にするんだ。

文章でもいい、とにかく言葉にして伝える努力をしてくれ。

言葉にしない思いなんて、この世に存在しないのと一緒だ。