令和元年のペンケース

キョロちゃんのペンケース、22年の歴史に幕を下ろす。

新しいのは、任天堂のショップで買ったヨッシーのペンケースや。厳密にはキャンバスポーチとかいうらしい。デカくて助かる。これで15センチ定規が普通に収まってくれる。ありがたや。

物書きの端くれとして、ペンケースとメモ帳くらいは持ち歩かんとな。

よろしゅう頼むで。

苔むす巌の思うことの話3

何か、そろそろブログを削除しようかなと思う時もある。

書いている時は自分の気持ちを吐き出したいからそれでいいんだけど、あとで読み返したくないんだよねぇ。誤字脱字のチェック、リーダビリティ向上のため、後日も人知れず手を入れ続け、誰も気が付かないような細かな変更が行われていたりする訳だけど、どうしようもなく心底うんざりする時がある。

こんなに苦しい人生があるか?

こんなに苦しい人生を記録する必要があるか?

正直、このブログの全記事を「絶対に読まなければならない人」は、結婚相手だけだし、絶対に結婚しないことは決定事項なのに、過去の記録を残しておく必要があるのか?と思ってしまう。

結婚はせずとも、二人三脚で人生を乗り越えていくパートナーが出来る可能性はある・・・あるのか?たった一人で生きていくと決めたのに?というか、高確率でそうならざるを得ないというのに?

巌は悩むのだ。苔むすほどに悩むのだ。

苔むす巌の思うことの話2

新しい環境で限界に達し、もう恋愛なんて1%も考えられなくなったので、ブログ名は苔むす巌の思うことになりました(戻りました)

もう無理やて。もう限界やて。

そもそも人間に向いてない。

地球に生まれてくるべきではなかった。

あの日指さした、まばゆいばかりの星に生まれるベきであった。

大気のとばり。

大海のうねり。

大地のうなり。

深い深い森の奥、苔むす巌となりて、静かに物思うなり。

どのお花にすればよかったの?

またブログタイトルを、苔むす巌の思うことに戻そうかな。いつかは戻すと思うんだよ、たぶん。だってこの先、誰とも恋愛しないだろうし。

会えない人をいつまでも想っていても、苦しい。簡単に忘れることは出来ないだろうけど、もう前を向かなくちゃ。過去に縛られてはいけない。過去はもうない。あの子はもういないもんだと思うしかない。仕方ない。今も元気でやってるだろうけど、俺は迎えにいけない。すまん。君を探し始めて見つかったけど、今世は無理だから来世ってことにして。無理なもんは無理。

俺、自分が中学生であの子が小学生の時に一度会っている気がする。なぜか一目見て、ずっと忘れられない子がいたんだけど、今思えば若菜さんにすごく似てる。ふっしぎー。昔、近くに住んでたんだろうか?

過去の因縁深い女を思い返しても、不思議で変な奴らばかりだったな。なんかもう自分も先が長くないような気がして、色んなことを思い出す。ここ最近、奇妙な夢ばかりをみる。

どのお花?菜の花に決まってんだろ。

10年目の躁鬱

まぁ、このブログを何日かぶん読むだけでも解るとは思うんですが、自分は重度の躁鬱でして、精神のアップダウンが尋常じゃないんですね。

元々暗くもあり明るくもあるという振り幅のある人間だったのが、病気になってから激烈に悪化した。攻撃性も増加し、人と大喧嘩することも多くなった。落ちる時は落ちるもんで、ベッドから一歩も動けなくなったりする。死ぬことを考えない日はただの一日もない。

まぁ、ガキの頃から人間関係は壊滅的でしたから、いつか自分の精神が木っ端微塵になるのも時間の問題ではあったけど、病気になんてなりたくはないもんです。あなたもなりたくないでしょう?鬱をバカにするのは結構だけど、あなたの家族が皆殺しにされてもあなたは精神をまともに保つことが出来ると思いますか?あなた、人生なんて全て運ですよ。運じゃないことなんてただの一つもない。出自、才能、出会い、怪我、病気、あらゆる全て。あまねく全て。神が手招く全て、君の運命。命とはただ運ばれていくだけ。まるで死へと向かうベルトコンベアーみたいに。

最近、たくさん細切れに夢を見る。そのどれか一つが自分の人生なのかもと思ったりもする。

22年目のペンケース

キョロちゃんのペンケース、10歳の頃から使ってるけど、そろそろ違うのにしようかな。

もう、ほんとボロボロで、俺はずっと筋金入りの鉛筆派だったから、サイドに穴が空きまくりなんだよな。ここまで徹底的に物を使い込むのも俺くらいなもんだろう。マジで小学生の時から使ってんだぜこれ。同じ頃から使ってた新明解国語辞典第五版は、ボロ雑巾になるほど使い込み10年でお役御免になった。以後、第六版(12年現役)

いやね、このペンケース自分で買った訳でも、金のエンゼルが当たった訳でもなくて、小学校の時の同級生に誕生日ん時にプレゼントしてもらったのさ。それをなぜかずーっとずーっと使ってる。そいつが親友な訳でも、キョロちゃんが好きな訳でもない。謎。マジ謎。お見合い結婚で、大して好きでもないけど22年結婚生活が続いてるようなもん。もうすぐ銀婚式だけど、離婚を考えてる(笑)

クロロさんも言ってます。「難しいですね。柵は忘れるものではなく、断ち切るものなので」って。俺も過去の柵を断ち切りたい。何年か前に行った同窓会で、俺ん中で過去の奴らは終わりになってる。だからずっと使ってたペンケースも同時に終わりだ。一切の柵を、断ち切る。

次、なにを使うかは未定だけど、任天堂ヨッシーの奴が濃厚。ヨッシーも別に好きな訳じゃないんだけどね(笑)

32年目の旅路

ほんと、俺この先どーなんの?

マジで疲れたし、本気の本気の大真面目にもう無理なんだけど。

もうすぐレベル32だが、人生は辛いことばかりだね。

今折り返しと考えて、倍で64・・・64!?

勘弁して。頼む、もう勘弁して。

辛すぎた。今までの人生が十二分に辛すぎた。

十二単のように、暑苦しく重苦しく身動きも出来ず窒息寸前の人生だった。

急募、旅路のゴール。

2年目の恋路

やっぱり一人称俺が増えたのは、若菜さんに気づいてほしいからってのが大きいな。いや、無人島からSOSのボトルを流すほど無謀なことは知ってるけどさ、なんにもしないよりはなにかしたいじゃん。少なくとも俺はそういう人間なんだ。

女は意中の男に思わせぶりに少しモーションかけといて、あとは相手の告白待ちでいいか知らんけど、男はそうはいかへん。男は自分から積極的にアプローチをしていかなアカン。

とはいえ会うことも出来ず連絡先も知らんとなれば、四方八方総当たりでやれるだけやらなアカン。その一環がブログでの宣伝活動や。

俺は本気やぞ。今まで生きてきて、こんなに人を好きになったことはない。

この恋の行方は、神様すら知らない・・・いや、神は知ってるやろ。早急に教えろや。

もう限界やぞ。

13年目の自由

しかしまぁ、ブログを13年もやってきて、最近ようやく自由に文章が書けるようになってきたなって思う。なかなかに長い道のりだった。自由に文章を書くというのは、文章力それ自体とはなんの関係もないからな。文章力なんて無関係だからこそ、ブログは誰にでも書ける。書こうとし続ければ13年だってやれんだよ、こうやって。

自由になり始めた起点は、一人称の縛りをやめたこと。これは地味に大きい。13年前、ブログを始めるにあたって考えたのは、一人称をどうするかということだった。「俺」だと強い、「僕」だと弱い、中立的で中性的な「私」にしようと決めた。これでずっと特殊なイレギュラーケースを除いてやってきた。12年以上。でもやめた。はてなダイアリーから、はてなブログに引っ越した時にやめた。

自分が明確に男であるという表明のため、俺を多用することが増えた。それと同時に、僕でも私でも良くなった。もはや一人称を縛る必要はないと思った。だって、その時の気分やノリで自分というものは変わって当然だから。自分は何者でもない。確かに自分は男だけど、女性性もかなり強い方であるし、今のフリースタイルでいいと思う。

自分の書くことにタブーはない。不可侵領域、サンクチュアリにはない。何でも書く。書きたいと思ったら、どんなことだって書いてやる。面倒な奴に絡まれたくないからブログのコメント欄は閉じてるけど、文句があるならツイッターでダイレクトメールを送ってこい。いつでも相手になってやる。それくらい手間暇かけてでも文句を言いたい奴しか相手にする気はない。バカらしい。安易に褒められたくもない。ご自分でツイッターのアカウントを探して下さいな。来るもの拒まず。ちゃんとステップを踏んだ上で私に物申すのであれば、例えそれがどんな思想に基づいた言説であっても、決して無下にはしません。ありがたく拝受します。どうも。

もっと自由にと思う必要はない。自由でなければならないは不自由だ。書きたいことを書きたい時に書きたいように書く。わざわざ自分は自由なんだなどと思う必要もない。

誰が読もうが、誰も読んでなかろうが、関係ない。

生まれながらに活字中毒。そういう性分。

心底、言葉に取り憑かれた男。

一生、書いたり読んだりして暮らす。それでいい。