別に何が正解であっても、私は最早どうでもいい。
真理は半分くらい解けたと思うが、残りの半分は絶対に解けない。
全てが理解できたと思った時点で、その先を生きていく意味が消滅してしまう。
物語の途中で、最終ページを読んでしまうようなもの。
最後の最期まで、ドキドキしたい、わくわくしたい。
解らないから、楽しいんだ。
暗がりの隘路が果てしなく続こうとも、パレードとファンファーレを続けよう。
・・・。
いいから、いいから。
好きなようにやんな、私も好きなようにやるから。
他人に迷惑が、かかり過ぎない程度にな。
「自分は絶対に、他人に迷惑をかけていません!」なんて言う奴は、ぶん殴ってやんよ。
お前が生きているだけで、地球と他の生物は迷惑してる。
程々に生きろ。
たまには、自分の事だけ考えて突っ走るのもいいけど。
・・・。
生きることは、歓喜の追求。
楽しむこと、笑えること、嬉しいこと。
遊びという言葉は、真理を凝縮したものにさえ思える。
子供は解っている。自覚せずとも解っている。
だからあんなに澄んだ眼をして、ニコニコしているんだ。
大人ぶるのもいいでしょう。
社会や常識に囚われて、窮屈に生きていくのもいいでしょう。
何を選ぶかは自由だ。
私は迷わず、一番楽しいことを選ぶ。