100年後には、誰もが私を忘れても。
100年後にも、この文章群が何らかの形で残っているとしたら。
何か、凄いね。
ネットってやっぱりまだ、発展の途上に在って。
今後、どう成っていくのかは、未知数な部分も多い。
詳しい事は、解らんけども。
世界中のあらゆる人達の、文章でも絵でも音楽でも、どういう表現形態でもいいから、そういう作品とか、心底からの叫びみたいなもんがさ、ネット上のほんの片隅で在っても、ずっと残り続けたらいいのにな・・・って思うよ。
今現在は、誰も私を理解してくれなくても。
私の理解者が、死んでから生まれて来るかも知れん。
直接、私自身が関わる事は出来ないにしても。
私が残したものを通して、繋がれる事が在るとするなら――――
そういう大きな時間の流れで、物事を考えられれば。
もう少し、余裕が出来るのかな。
どうしようもないくらい、毎日が切羽詰まってるからね、実際。
焦燥感にぎりぎりと、精神を捻じ切られそう。
先の事は、解らない。
解らない事は、考えない。
考えても、考えなくても、大した違いは無い。
いつも、楽しい事だけを思い浮かべて。
そうやって時を繋いで、日を跨いでいく。