私の魂は17の時から、笑いの神に預けてある。
私がくだらねぇ事しか言えなくなったら、即刻握り潰せとな!!
・・・という風に思っていた時期が、私にもありました。
いや、今も思ってるけど、人間性の腐敗が進み過ぎてどうにも成らん。
私が生きていく意味を、極限まで突き詰めると。
エンターテイメントの追求という言葉に、集約される。
別に、これで食っていきたいとか、金が欲しいとか、そういう事じゃない。
私は、面白さや楽しさにしか、本当の価値を見出せない。
文学や哲学や形而上学にも、私は一定の価値を置いているが。
それはあくまでも、生き続ける事による不安を紛らわす手段。
勿論それらは、私という人間を構成する上で、血流のように大事なもの。
この血流が、別の何かに掏り替わったら、私は全く違う人間に成るだろう。
・・・。
幸せとは、笑える事。
笑わせる事が出来る人は、幸せを生み出す事が出来る人。
真理追求を、私はいつだって口にしているが。
もう難しい事を考える必要は、無いんだけどね。
ある意味では、17の時点で全ての謎は解けている。
私は大体からして、答えが1つしか存在しないものが嫌いで。
理数系が好かないのも、それが主だった理由。
初めから答えが1つしか無いなら、好きな人達だけがやっていればいい。
私はもっと、違う事に興味が在るんでね。
何が正解で、何が不正解なのか。
解らないから、悔しい思いもする。
解らないから、凄く楽しい。
完全無欠な解答が存在しないから、生涯に渡って追求していく価値が在る。