二律背反めいた、真理の実像

雑多な文章を片っ端から読んでいたら、頭ん中がバグりそうになった。

というか、こんな生活をいつまでも続けていたら気が狂う。

そんなことは解っているが、今は休む。

ある程度まで回復したら、体を鍛えまくる。

二度と倒れない肉体と精神を、作り上げていく。

しばらくは、自分という人間そのものをクールダウンさせねば。

暴発しかねない全ての要素を、沈静化させる。

自分と本気で向き合うこと程、辛いことも無いんだよ。

でも、やらないと。

何となく、何となく、何となく・・・それが一番楽だ。

流されて、流されて、流されて・・・自分ってものが在るんだか無いんだか。

やっぱりそれじゃ、いつまた死にたくなるか解ったもんじゃない。

なぜ死にたいのか?

なぜ辛いのか?

なぜ苦しいのか?

それを1つ1つ自分の中で、解決していかなきゃならんのだ。

それらが完全に消滅するのは、悟りみたいなものだが。

ある程度までは、クリア出来るはず。

自分だけでは無理かも知れない、他人の力を借りることもあるだろう。

・・・。

生きる意味そのものについては、私の中で明確な答えは出ている。

兎にも角にも、“エンタメの追求”、これしか無い。

怒りも悲しみも、ネタが1つ増えたと思えればいいのだけど。

色んな人が、好き勝手なことを言うでしょ。

腸が煮え繰り返る時もあるよ・・・どうしてもね。

まぁ、私も好き勝手なことを言っている1人な訳だけど。

他者が居なければ、悲しみは存在しない。

けれど。

他者が居なければ、歓びも存在しない。

どうせこの世界にたった1人になったら、「ジャイアン(理不尽な嫌悪対象)でもいいから、出て来てくれぇ」って、言い出すに決まってる。

どうして人は、1人では生きていけないんだろう。

群れの中で生きていくことが、予めプログラミングされているのか。

・・・。

この両手を、人を殴るために使うのか。

この両手を、人と繋ぐために使うのか。

自分の掌を眺める時、私はそれを自問する。