自由意思

あれが好き、これが好きって言うけどさ。

じゃあ、何で好きなんだ?

こういう人が好き。

こういう味が好き。

こういう音楽が好き。

・・・うん、何で?

どういうことなんだ、これ。

私は文章を書くのが好きだから、今これを書いている。

だから、何で好き?

さっきふと思い付いて、一瞬ぞっとした。

好きだの嫌いだのが初めから決まっているなら、自由意思なんてものは、この世界に微塵も存在しないんじゃないのか。

「好きなように生きるんだ!」←という“好き”は、私が決めた訳じゃない。

完全にニュートラルな状態から、「今から私は、これを好きになることに決めた」とすれば、いくらか自由意思が・・・。

けれど、そういう完全にニュートラルな状態から、好きなものを選ぶのが好きってことになると・・・。

自由意思など幻想で、ただひたすら筋書き通りに生きることに・・・。

――――ダメだ、こういう思考は。

何もかもが、楽しめなくなってしまう。

この世界の仕組みは、完全に禅問答だよ。

だから私は真理の追求よりも、エンタメの追求を選んだんだ。

面倒なことは、思考回路から切り離す。

考えない、考えない。

楽しく面白いことだけで、思考回路を埋め尽くせ。