私は一体、どうしたいのか、どうなりたいのか。
自分で自分が、さっぱり解らない。
ふとした瞬間に浮かんで来る、ぶちのめしたい奴ら。
そいつらが苦しみながら消え失せれば、私は幸福か?
そうでもない、私の幸福とは関係ない。
許せば楽になる。
でも簡単には許せないから、神経がぶっち切れそうになる。
好きなように生きてくれば良かった。
私はどうして、好きなように生きて来なかった?
いつでも、人の顔色を窺いながら生きて来た。
馬鹿らしい。
世の中どこへ行ってもクズばかりなのに、どうしてこんなに神経を磨耗させながら、窮屈に暮らしていかなけりゃならない。
私には私の基準がある、私には私の物差しがある。
理解はされないだろう、受け入れてはくれないだろう。
いつ死んでもいい。
それは構わない。
正当性を張り合う気も失せた、もう戦うための剣は要らん。
こんなもん、いつでも圧し折ってやる。
基本的に、何かを成すために力は必要ない。
多くの場合、力は邪魔になる。
力は抜く。
そしてもう一度、考え直してみる。
冷静に、1から100まで組み立て直す。
思考回路が凝り固まって、単一の思考しか出来なくなったら終わり。
そんな人間共は山程いるが、そうはなりたくない。
頭も心も柔軟にして、再考の余地を常に残しておく。
99%許せないにしても、1%許す可能性を残しておく。
99%の絶望の中に、1%の希望を忍ばせてみる。
地中に埋めた種のように。
それがいつか萌芽して。
闇が私を食らい尽くす前に、大きな光になるかも知れない。