否定から入る奴が嫌い

待てよ、そういや自分も否定から入るじゃないか。

否定されること程、腹立たしいこともない。

自分自身を否定されるのは、勿論のことだが。

自分が好きなもの、高く評価しているものを否定されるのも、私自身が否定されていることに等しい。

延いては自分の人生そのものを、罵倒されたようにも感じられる。

単一の物差しだけで、すべてを測ろうとするから面倒なことになるんだ。

「大嫌い」って、一言で切って捨てるのは楽だね・・・本当に。

私もなるべく露骨な否定の言葉は、使わないようにしたい。

私の性格上、かなり難しいかも知れないが。

本当に好きなものたち・・・これらがあるから自分は生きていられるんだ・・・と思えるものたち・・・。

宗教絡みの揉め事を、信仰心の薄い日本人は理解できない。

汚されてはいけない領域が汚染されると、諍いが起きる。

それはつまり、生きる上での核のようなものだ。

形は違えど、誰もがそれを持っている。

生きるための、拠り所にしている。

それは、大切な人であるかも知れない、趣味であるかも知れない、眼には見えない精神的なものかも知れない。

軽はずみに、それらを否定してはいけない。

完全に、人の生き様を冒涜している。