私は一体どこまで、普通の人間と逆なんだ。
楽しむということでさえ、「よし!」と決意しなければ、容易に踏み出せない。
普通の人間が、生涯で数分程度しか考えないようなことばかりを、私の思考回路は日々こねくり回し続け、結局はどこにも辿り着けずにいる。
昔からずっと、普通じゃないことがコンプレックスだった。
居場所が無かった。
本当に子供の頃は別にして、友達もここ何年かでやっと作れたような気がする。
といっても全く新しい出会いじゃなくて、かつての同級生との再会という形だが。
学生時代は、誰もが自分のポジションを探り当てて、時には自分を弱く見せたり強く見せたり、必死に安全な場所を確保しようと、あくせく動き回る日々。
明らかに、嘘が混じっていたと思う。
全部が全部では無いにせよ、本音を押し殺して長いものに巻かれようとしていた部分も、少なからずあったろう。自分の本意に沿わない形で。
大人になって再び会った時、かつてより自然な形で私は彼らを受け入れた。
もう成人した私達は、狭苦しいコミュニティの中で、窮屈や不自由や息苦しさを感じながら過ごす必要はなくなったのだし、付き合う人を選べるようになった訳で。
好きだと思えば、今後も付き合えばいい。
嫌いだと思えば、今後は避ければいい。
交友関係において無理をする必要性など、今の私達には無いのです。
再び会ってガッカリしたら、当分知らん顔して過ごせばいい。
十で神童、十五で才子、二十過ぎればただのクズ・・・そういう奴もいるしね。
自分が最も自然体でいられることだけを、私はずっと望んでいる。
このブログも友人らには広く教えてるけど、文章を読んでる内に私の本性が垣間見えてうんざりしたら、二度と読まなければいいし、私からも離れていけばいい。
お互い、一番楽なスタンスで生きましょう。
私が必要なら、いつでも手は貸す。
そんなこんなで、私は今までとこれからを、受け入れつつある。