嘘だって100回も言ってりゃ、いつの間にか真実ってか。
最初は単なる思い込みでも、それが重なり続ければ、もはやどちらが本物なのか。
真実と確信したものさえ、虚偽である可能性を孕むのなら、強く握り締めた真実らしき物体の信憑性に、どれだけの意味がある?
本質を見極めようとする傍から、刻一刻と状況は変容していく。
どこまで絞り込めば、本質は本質としての実相を現す?
玉葱の皮を剥がしていけば、最後には何も残らない。
“Speaking words of wisdom Let it be”
叡智の言葉で私を諭す、そのままにしておきなさいと。
手を加えると、余計に解らなくなることもある。
氷がいつか解けて無くなるように、問題もやがて自然と氷解するだろう。