自分は他人の始まり

過去の記事を読み返すと、自分でも理解不能な時がある。

その時に解っていたことが、今になって解らない。

別にそれは、今と過去と正しいのはどちらなのかという話ではなく。

その時はそれが真実であったし、今になって考える真実は違うということ。

よく「ブレてる奴」なんてレッテル貼りをすることがあるけど、日々の中で考え方が変わるなんてのは当然のことだし、途中で何かが変わらずに生きるなんて無理ってもんでしょう。

味覚にしたって変わるし、変わるものは変わるんだから、受け入れるしかない。

甘いものを辛いという必要はないし、辛いものを甘いという必要もない。

今強く感じているものが、自分の中では絶対的に正しい。

以前と何かが違うけど、以前と同じように振る舞わねば・・・など、愚かでしかない。

心に嘘を吐いてまで守り抜かねばならぬ概念などない。

私は甘党を貫く。子供の頃から酒乱の馬鹿な大人たちを見てうんざりしているんだ、酒なんて嫌いなんだ・・・と、かつては言っていたけれど、酒の味を覚えてからは辛党に転じたとしても、それを責める者はいない。

信念にしたって、信条にしたって、変わるものは変わるし、それは致し方ない。

そういう意味では、過去と現在で自分は違う人間なのだ。

自分は他人の始まり。

自分でさえこの有様だから、他人様はもっと解らない。