暇人からの脱却

人生において最も苦痛なことは、大病、激痛、面倒な人間関係・・・そして暇。

暇なんて望むもんじゃないんだね、これで老人だったらとっくにボケてる。

よく人間嫌いと言う奴に、「たった一人ロケットに乗って、二度と戻れない旅に出られるか?」と訊くんだが、私は絶対に無理だと思う。

暇と孤独は、ほとんど同じ意味だ。暇な人間は孤独であり、孤独な人間は暇である。暇な人間に存在意義はないし、孤独な人間にも存在意義はない。

人間としての価値とはつまり、他人にどれだけ必要とされているかということであり、どこにも属さず、どこにも繋がっていない人間は、幽霊のようなものだ。

人間という言葉は間という漢字が入るとおり、二人以上の人が存在して初めて人は人間になる。たった一人で生きようとする者は人ではあるだろうが、人間ではない。生物学的な意味においてのヒトには間違いないが、社会的な意味においての人間とは認められない。

人と人との間には常に隙間があり、二人の人間がどれだけ深く解り合おうとも一つの存在として混じり合うことはない。だからといって、人間であることを放棄することはまかりならない。

無意味だから誰とも関わらないなどと、大見得を切ってどうする。

人間は暇になってはいけない。

暇をくださいは、死んだ時だけで十分だ。