正しさを客観的に定義できない以上、各々がやりたいようにやるしかないというのが、現状だろうな。
そして誰かが自由になるということは、他の誰かが不自由になるということだ。
自由な言動の結果、迷惑を被る人間がいる訳だからな。
とはいえ考えてばかりじゃ、何も行動を起こせないし。
考えに考えた末の言動でさえ、他人を傷付けることもある。
全く何も考えずの言動でも、他人を救うこともある。
ということはもう、なるようになるってことだろう。
右足から一歩を踏み出すか、左足から一歩を踏み出すか、どちらが正しいのかというような、実に不毛で無意味なものだ。
右足から踏み出した結果、歓ばれるのか、嫌がられるのか。
左足から踏み出した結果、歓ばれるのか、嫌がられるのか。
それはもう、本当に結果論でしかないし、たまたまその時はそうなっただけだ。
考えない考えない、考えてもいいけど。
考えるというそのこと自体は、結果とは関係ない。
その場、その時、その人、そのタイミングで、同じ言動でも大きく変わる。
最初の一歩を踏み出す勇気さえあれば、後はもう出たとこ勝負なんだ。