小説及び表現に関する雑感

文体は軽妙洒脱で、ユーモアのセンスがあり、ウィットに富んでいる。物語は浮世離れして、ふわふわした世界観・・・そういう小説が好き。まぁ、そんな気の利いた作品なんて、ほとんどないんですけど。

日常生活からどれだけ離れたところまで連れて行ってくれるかが、個人的な評価ポイント。それは別にSFとかファンタジーとかっていう安直な発想ではなくてね。

自分の精神が解放されて、どこまでも連れて行って欲しいんだ。これは私の顕在的な願望でもあり、潜在的な願望でもある。だから常に、そういうあたかも自分がトリップするかのような、ある意味では異質な作品ばかりを求めている。

作り話でひたすらリアリスティックに描く意味が、私にはよく解らない。寧ろ、非現実を描くことによって逆説的に現実味を炙り出すのがフィクションの役割ではないのか。

最近の小説は、感動の押し売りが多くて、あまり読まなくなった。これは映画にも言える話なのだが、とにかく泣ける作品が名作みたいな扱いになって、感動巨編(笑)な低俗で浅はかな作品ばかりになってしまった。

村上春樹が、「僕は自分の作品を読んだ人に、泣けましたと言われるより、思いっ切り笑いましたと言われる方が嬉しい」という趣旨の発言をしていたが、道理で私の好きな作風な訳だと納得した。

別に、泣けるシーンを入れるなという訳じゃない。そういうのは物語のメリハリとしてあってもいい。ただ、それを押し付けるなと言っているだけだ。とあるシーンに触れた時、泣くのか笑うのか怒るのかは読んでいるこっちが勝手に判断しますからってこと。

テレビでも最近は演出過剰でしょう。テロップで大文字にして笑い声を足して、「さぁ、今が笑うところです。皆さん、ここで笑ってください!」みたいな押し付け。

感動シーンでは、切ない曲やナレーションで煽りに煽って、「さぁ、今が泣くところです。皆さん、ここで泣いてください!」って、これまた演出過剰。

思うんだけどさ、日本国民ってそんなにバカなの?

いつから、こんなに指図されないと感情も発露できない国になったの?

違うよね、国民のレベルが下がったんじゃなくて、制作者サイドが異常なの。

本来はさ、物事の解釈ってのは自由な訳。

何気ないシーンやセリフであっても、笑うこともあれば泣くこともあるし、憤ったり感慨深く思ったりすることが起こり得るもの。

作者が意図しても、意図してなくても、色んな風に取れるから面白い。

だから私としては、ここぞという最大の見せ場じゃなくても、ありふれたちょっとしたシーンの中で、ぐっと込み上げるものがある作品が好き。

見せ場は見せ場として盛り上がるのはいいと思うけど、細部にまで凝って作ってある方が制作者の作品に対する愛を感じる。

そういう懐の深い作品を期待している。

一つの方向性でしか計れないのって、とても退屈。

人によって感想がまるで違うのは、素敵なことだと思うけどなぁ。