形而上的な孤独

一人じゃないからというのは、何の慰めなんだろうか。

いや、人間はどこまで行っても一人だし、死ぬまで孤独な生き物だろう。

何というか、「お前は一人じゃない」と言われて救われたと信じ込むような人は、潜在的な孤独を感じたことがない人なのかもな・・・そういう人の方が人生は生きやすいと思うよ。というか、間違いなく生きるのが楽な筈。

似た者同士で寄せ合っても、それは似ているという域を出ることはないのであって、全く同じではないのだ。

寸分と違わぬものを、二人が共有し合うことはない。

Aの感覚はAにしか解らず、Bの感覚はBにしか解らない。

想像することは出来ても、100%の正解には辿り着けない。

そもそも感覚的な事象は、本人でさえ正確に言語化することは不可能だろう。

何となくとしか言いようがない。何となくの中で人は生きていく。

その何となくが、時に人を押し潰す。

誰にも解って貰えない、言葉にすることも出来ない、言葉にしても意味がない。

深海の強力な水圧のように、一気に人をぺしゃんこにしてしまう。

悲しい記憶がいつも碇のように纏わり付き、もっと深くまで沈めていく。

いっそ何もかも忘れてしまえれば、絶望の深海に突き落とされようとも、その水圧の中でさえ生きていくことが出来るのだが・・・。

悟りというのは、全てを忘れるということなのかも知れないな。

赤子に戻ったかのように、抽象的な概念に苦しむことはない。

ただ今だけがあって、過去も未来も関係ない。

そういう生き方が出来れば、どこにいようと私は自由なのだが。