希望の芽

ネガティブな全てを直視し受け入れた先にしか、本当のポジティブはないと某友人は言うのだが、それは真実だろうか。

私たちは世界中の全ての悲しみを真に受け、涙を流さなければならないのか。

確かにそう思っていた時期もある。他人の悲しみも理解できないで、何が世界平和だと感じていた時もある。若い頃の話だ。

今はそう思っていない。そんなもん、涙が枯れ果てて心が死ぬだけです。

事実を事実として受け取らないのは、確かに現実逃避だと思う。起こったことは起こったこと。誰かが死んだなら、死んだ事実は確実に受け止めなきゃならない。

けれども、その事実を受け取ったあと、悲しみに暮れるのか、それはそれとして横に置いてしまうのかは、個人の自由だと思う。

結局、他人は他人でしかないし、いつでも自分は自分のことで手一杯だ。

そして思うのは、悲しいことは悲しいで解るけど、なるべく早く切り替えて楽しいことをやろうよっていうのが、今の私の基本的なスタンスである。

いつまでも泣いていたいなら泣いていてもいいと思うけど、泣き尽くしたら、どうか笑って欲しい。楽しい世界がすぐ傍にあることに気付いて欲しい。

もちろん私だって、生き地獄だと思いながら生きている部分はあるけど、確かにこの世界に歓びが存在することに気付いているし、それがいつでも手を伸ばせば届く位置にあると知っている。

いいじゃないか、悲しみに暮れずにドンチャン騒ぎしたって。

悲しみで涙を流すより、歓びで涙を流しましょう。

いや、私だって死ぬほどネガティブな人間だし、ダークサイドにどっぷりだけど、本当は毎日楽しく生きたいと願っているって話です。

心の中で少しでも楽しく生きたいと願うなら、必ず希望に繋がる。

その僅かな希望の芽を、摘んでしまってはダメだと思う。

どこまでもその芽を守り、育て続ける。

幸せとは何かを手に入れることではなくて、心の中にある希望の芽を立派に大きく育て上げることです。

その芽がいつか種を蒔き、新しい希望を生む。

誰かの心に、確かな希望を与えることが出来る。

知って下さい。我々は決して、無力ではないのだと。