言葉の話6

的を射る、的を得る、どっちが正しいんだ問題について書く。

全ては、正鵠を失うという言葉から始まっている。

失うの反対語は何か、得るである。そこから、正鵠を得るという言葉が生まれた。

それでは言葉の変化を、時系列順に辿ってみよう。

正鵠を失う→正鵠を得る→正鵠を射る→的を射る→的を得る。こういう流れだ。

このことから導き出される結論は何か。本当に正しいのは正鵠を失うだけであって、後のは全て造語に過ぎないということである。造語だから間違いということではなくて、言葉は時代によって移ろうものなので、造語は造語で誤りではない。

つまり、的を射るも、的を得るも、どちらも造語の時点で派生語としては正解であって、そこに優劣はない。だから、好きな方を使えばいいんじゃないかって感じですかね。

的を得るが間違いだと言われがちなのは、一番新しい言い方だからじゃないだろうか。的を得るに比べて、的を射るは古いので、正しいと思われがち。もっと過去の人が見れば、何やその表現って思うのかも知れないね。

ただまぁ、某マンガで、的を射ると書いて「まとをえる」とルビがふってあったのは、さすがにどうかと思ったけどね。射るって、いつから「える」って読むようになったのさ?意味不明。というか、作者もそうだけど、編集者も無能。

とはいえ私は、的を射るが正しいと教えられて育ったので、的を得るは使いませんけど。何かピンとこないんだよね、得るってのがさ。

時代によってスタンダードは変わるので、今後どうなるかに注目ですね。

的を得るの次が生まれるのかも知れない。

的を取るとか、的を抜くとか、的を食うとか。

言葉というのは、実に面白いですね。