文章の話5

文章の完成度とは何か。

ましてや、完成度が高いとは何か。

私は文章を褒められることもあるけど、割と多くの人に「お前の文章は、鬱でうざい」って言われてますんで、不特定多数の人に受け入れられるような性質の文章ではないと自覚している。

ある人には受け、ある人には受けない時点で、正解はないのだろう。その正解がないというのに、完成度とは一体何を指すのか。

精々が、誤字脱字のない文章ぐらいなものだろう。後は、好き嫌いでしかない。

多くの人に気持ちよく読んで貰いたいとは思うけど、自分がいいと思う文章以外はアップしたくないんだよね。どんな文章も、今それが自分の思想に最も近いものだけを上げている。アイディアを思い付いても、自分の思想と遠いほど、その文章がアップされる可能性は低い。

今この瞬間の、最前線の私だけが本当の私であって、昨日の私はもう私ではないんです。それどころか、一秒前の私でさえ私ではない。文章を書き上げ、アップする時には、もう全てが過去なんです。過去とはいえ、最新記事は限りなく私の最前線に近いので、それが偽りない今の思想ということになる。

昔の記事と今で、言ってることが丸っきり違うこともあるでしょう。でもいいんです。首尾一貫している人間なんて、本当は誰もいないですから。同じだと思っているのは、あなた自身だけですよ。

人は川の流れと同じ。同じようで、同じでない。文章もまた刻一刻と変わっていく。その変化をなるたけ正確に、そして克明にアウトプットする。自分にとって正確で克明なら、それは自分にとってのみ完成度の高い文章と言えるだろう。

完成度というのは、他人が読んで理解できるような性質のものじゃない。