言葉に罪はない、表現に罪はない

何で昔のマンガの文章を勝手に変えてしまうんですかね。

そんなこと許されるの?著作権ってどうなってんの?表現の自由は死んだの?

いやまぁ、今新しい作品を発表する時に、「その言葉、その表現は差別に当たるので控えましょう」ってんならまだ解るよ?

でもさ、その当時に普通に使われていた言葉を表現を、なぜ変えてしまうのか。それは事実をねじ曲げるということだろう。歴史を正しく伝えないということだろう。文化を否定するということだろう。

巻末に、当時の時代背景や差別の意図はないことを考慮し、原文のままになっていることの説明を入れればいいだけの話ではないのか。それすらも許さないのか?

何とも、窮屈な時代になりました。

科学や医療、電子機器やインターネットなどが発達した、素晴らしい時代なのだけれど、私たちはどんどん自由を失っているのではあるまいか。

互いが互いを絶えず監視し合い、少しでも変わった動きをすることを許さない社会に、私たちはもう足を踏み入れている。

いつか体中を安全装置に雁字搦めにされ、呼吸をするだけの生き物になってしまうのではないか。

人間というのは、危うい生き物です。自らを破滅させてしまう可能性すら秘めている。でも、それが人間でしょうよ。過ちを繰り返すしか能がないが、そこから何かを学び、少しでも良くあろうとする。

綺麗な言葉だけを並び立てたって、私たちは幸福になどなれやしない。

道に散らばる小石を残らず掃いたって、人が転ばなくなる訳ではない。小さく転ぶ経験を繰り返すからこそ、大きく躓くことを回避できるのだ。

汚いものを隠したからといって、その汚いものがこの世から消えてくれるのか。消える訳がないであろう。それは単に、現実逃避でしかない。現実としっかり向き合う覚悟のある人間にだけ、世界は本当のことを教えてくれる。

清濁の中を泳ぎ、酸いも甘いも知り、信じ裏切られ、縋り付き足蹴にされ、それでも前へ前へ一歩でも先に進んでいく、強い意志を持ち続ける。そうやって逞しく生きていくしかないのだ。