言葉の話9

その言葉は間違っているとかよく指摘してくる奴に限って、他の言葉が間違いだらけだったりするんだよなぁ。

結局、たまたま正解を知っているいくつかの言葉に関しては厳密でうるさいけど、言葉全般について博識な訳じゃないから、穴だらけの知識で凄くアホっぽい。無理すんなと思う。

まぁ、私も昔は偉そうに「正しい日本語とは!!」みたいな話を大上段に論じていたから、かつての自分に対しても無理すんなと言いたい。そう、無理すんな。

新明解国語辞典第五版を、私はボロ雑巾になるほど読み潰して、最終的に辞書が真っ二つに分離するほど読んだから、19の頃に六版を新しく買った。もう、死ぬほど読み込んだ。昔はね。

でも最近になって思うのは、やっぱり辞書ってのは目安なんだなぁってこと。正解と間違いの線引きをするのに役立つけど、だからといって絶対ではないし、もし絶対なのであれば辞書は版を重ねて更新される必要はない。時を経て更新されるということは、言葉は常に動いているということだ。それはまさに、生き物のように脈動している。

間違って使う人が50%を超えたら、もうその言葉は確実に揺らぎ始めているのだし、それが80%や90%を超えたら、辞書にも新しい語釈が載らなければならないだろう。

ノーベル文学賞で毎年話題になるあの作家も、実は割と間違えて使っている言葉も多い。でもその作家は正しいと思っているんだし、編集者や編集部も正しいと思っている。だったらその言葉は正しいんだろう。少なくとも、その人たちにとっては。

正しさとは何かを問われる度に、私は何度でも「そんなものはこの世に存在しない」と声を大にして言わねば成らぬだろう。

この世に存在する全ての物事は絶えず揺らいでおり、安定することは決してない。

私は揺れないなどと、足を踏ん張らなくても良いのだよ。

世界が揺れるなら、君も同じように揺れればいい。

揺らめく蝋燭の火が、いつか消えてしまうまで。