人の話3

小説や映画などの作り話がどんどん嫌いになるにつれ、リアルな人の話が日に日に好きになっていった。

なぜリアルな人の話が面白いか。それは、本当にあった話だからである。

どんなに陳腐でありふれた話であったとしても、話者が嘘を混ぜない限りそれは本当にあった話であり、そこに登場する歓びや悲しみや苦しみというのは、どこまでも血の通った生身そのものである。

たぶん私は、本当のことにしか興味がなくなっているんだろう。

本当にあったことで泣くのはいいが、何で架空の嘘話で泣かなくちゃならんのだ。アホか。そんなに人生暇じゃないし、精神的な余裕もない。

笑い話は別に嘘でもいいよ。それは小咄というジャンルになるから。

面白い話に嘘もほんともない。面白ければそれでいい。

話を盛るのはいいが、それは適度にな。度が過ぎると白ける。

実際にあった話を面白おかしく再構築するというのは、トークにおける重要かつ高度なテクニックだ。

場合によっては、話す順番を入れ替え、不要な部分を削り、必要と思えば足し、大事な部分はペンキで色を塗る。そうやって話を組み立て直す。そういうことを話しながら瞬時に出来る人は話術に長けているといえるだろう。

それは詐欺師と同じではないかと君は言うかも知れないが、この世界においては大筋と大枠から逸れなければ咎められることはない。大事なのは説得力であり、それを実際に聞いている人間が面白いと思うかどうかだ。

そもそも偉そうな奴が偉そうに大上段から押し付けてくる説教が役に立ったことが人生の中で一度でもあっただろうか。いや、ない。今後もない。面白くない話から得ることなど何もない。つまらん奴の話など誰もまともに聞いちゃいないし興味もない。ただ無駄な時間が無為に流れていくだけ。

だいたい過去のことなんて、細部まで鮮明に覚えてなどいない。

おおよそこれくらいの時期に、こんなようなことがあった(ような気がする)んですということでしかないからな。

それでもまぁ、いつまでも覚えている話ってのはその人の性格や人間性、ひいては人生観を象徴しているのだろう。たぶん。