ほぼ昭和末期に生まれた私にとって、平成とは若き日の人生そのものであった。普通の人間たちにとり、年若い青春の日々とは人生において、一番楽しく素晴らしく美しい時期であるらしい。私の青春は、全く楽しくも素晴らしくも美しくもなく、気が付けば若人の時はとうに過ぎていた。
人生山あり谷ありとか言ってみたかったわ。私の人生はただ業火の谷間で骨の髄まで焼き尽くされるだけの日々であった。
いつすべてが終わってもいい。
死を怖れたことはない。痛い思いをしたい訳じゃない。精神的な意味での死を全く怖れていないって話。
凸凹を平らに成るまで作業するのが人生なんだろうが、凹しかない場合どーすりゃいいんです?二度と地上の光を見られる気がしないのですが。
長く旅をした。
長い長い地下迷宮をめぐる冒険。
何年か前に生まれたばかりの子供を抱いた時、この明鏡止水の瞳は天界まで通じていると思った。蓮の池のほとりからお釈迦様にすべてを見通されているんだと感じた。あの瞳は浄玻璃の鏡なんだ。嘘というものが全くもって通じない、一切合切を見通す瞳。私は心底震え、戦慄した。ああ、自分というものは・・・。
苦しいだけの歳月。少しは善良な人間に私もなれるのだろうか。
いつか蜘蛛の糸が、私の眼前にも降りてくるだろうか。
他人を蹴落としてまで自分だけが助かろうとしないだろうか。
許したい。
許されたい。
愛したい。
愛されたい。
善良な人の心とは、透き通る蜘蛛の糸のように目には見えない。
私もいつか、誰かにとっての蜘蛛の糸になれるように。