やっぱり落ち着く人が好き(という記事を書こうと思ったら何故かユーモアの話になった)

楽しいけど疲れる人より、楽しくないけど疲れない人がいい。

楽しくて疲れない人が理想だけど、そんな人は今まで生きてきて殆ど知り合ったことない。ゼロとは言わないけど。

楽しい=面白い=ボケることだと思っている人が割と多くて、凄く疲れる。そういう奴って大体つまらないし。彼女は真顔でしれっとボケを差し込んでくる子だから、会話の流れ自体はそんなに悪くならない。相手が拾っても拾わなくてもいいと彼女自身も思ってるんじゃないか(たぶん)絶対に拾って欲しいなら人ってのはこれ見よがしにアピールするもんだ。構ってちゃんと一緒よ。彼女のボケは場合によっては後になってからそのボケがどういう構造を持っているのか考察する必要性すらある。リアルタイムでの面白さの感覚と、時間が経ってから思い出した時で面白さが二段構えになってんだもんな。もはや自分で書いてて何を言ってるか解らない。だってそんな人今まで会ったことないもの。一年前の出来事を今思い返しても、現在進行形で衝撃が走り続けるレベル。あの子って本当に実在したの?笑いの神様じゃないよね?

自分で自分のことを面白いと思っている奴は、「はい!今まさにボケてます!これ言い終わったらすぐにツッコミを入れてね!」って暑苦しくグイグイ自己主張してくるのが大多数。とても面倒。それどころか、「ちなみに笑いが起きなかったらツッコミをした君がすべったんだからね!」という滑り止め付きのボケをしやがるからな。何でツッコミ強制で巻き込まれた上に、すべったら俺のせいなんだよ。マジでふざけんな。ボケは考えた上でタイミングを計りながら発言するけど、ツッコミはいつボケが起きるか解らないんだから、ノータイムのセンスだけでツッコミしてんだぞ。間の取り方も含めてな。平等じゃない上に割に合わない。もう最近じゃ、ふっつーにボケに気づかないフリしてスルーしたりもするけどね。わざと「つまんねーぞお前」って態度だしたり。私は別にお笑い芸人じゃないし、相手を気遣って立てなきゃいけない理由もない。アホらしい。ボケ自体がメチャクチャ面白ければ、ツッコミがなくてもボケ単独で十分に面白いもんだし。サンドウィッチマンとかね。

これじゃボケ嫌いにもなりますわ。だからこそ本当に面白いボケをする奴は惚れ込んじゃうんだよな。大吉さんは「0点のボケを100点にするのがツッコミの仕事」って言ってたけど、芸人でもない素人からすると、元々100点のボケをツッコミのアシストで200点にしたい。ツッコミってのは限界突破アビリティだと思ってる。面白い奴をもっと面白くするサポートなら歓んでしよう。だたし、元からつまらんボケしか出来ない奴はカバー出来ん。そもそもカバーしたいとも思えん。「からの〜?」じゃねーんだよアホ。そんなもんセンスの欠片もないただの煽りでしかない。

私は生粋のツッコミ人間ではあるけど、ごくごく普通のことでもツッコミってのはこういう見方をすると面白いよっていう気づきを与えるもんだと思ってる。他の人がまだ気が付いていない面白いことに誰よりも早く察知して、それをさらに面白おかしく伝える役割をしたりね。発想力や語彙力に加えて、洞察力や観察力も大事。誰よりも物事を客観的に眺めて、どれだけ一般的な感覚と落差が生じているかということを面白く表現する。よく言われるけど、ツッコミってのは極度の常識人にしか出来んことよ。おかしい奴におかしいってツッコミ入れる奴がおかしけりゃ「いや、お前もおかしいやん」っておかしなことになる。そういう天然なツッコミをウリにしてる芸人もいるけどね。基本的には何が常識で何が普通か解ってないと無理なく器用にはこなせない。ツッコミはボケがなくても成立するし、人をディスって傷つけたり不快にさせたりイジったり揚げ足とったりするようなもんはユーモアじゃない。

彼女はたぶん人を不快にさせるような発言を面白いと思うような人間性ではないと思う。誰も傷つかないのが本来のユーモア。だから彼女のボケはあまりにも自然すぎて私以外の誰もボケたことにすら気が付いていない。ユーモアに対する考え方が私と似てるから疲れないんだろうな。潜在的に人を楽しませようって気持ちが強いんだけど、それがグイグイ表立って主張してこないから比較的に普通の発言として処理されやすい。でも別にそれでいいんだよ。私みたいにユーモアに敏感な人はすぐに気づくし、後になって思い出し笑いするくらいセンスは高い。レベルが高くなるほどユーモアの手数ってのは見えないもんよ。何が面白いってことなのか、そもそも解ってない奴も多い。だからお笑い芸人のクオリティは下がり続けて、猫も杓子も理解できる程度のネタが流行り、数年後には誰も覚えてない。

たまには本気を出して、丁々発止の応酬がしたいもんだ。どんなにハイスピードなやり取りでも、誰も嫌な思いをしないユーモア。ああ、毎日笑って暮らしたい。毎日誰かを笑わせて暮らしたい。

そういや落ち着くと言えば、日常会話レベルでオチなんていらんのよ。すべらない話のマネして無理にオチをつけようとする人もいるけど。テレビのすべらない話でさえオチ以外はおもんないのに、素人のすべらない話もどきなんて最初から最後までオチ含めてつまらんからな。トークってのはトークそれ自体が面白くなきゃ意味ないって。オチを言い切るまで噛んじゃいけないだの真顔で笑っちゃいけないとか何芸人のマネゴトしてんだって感じ。当然この記事にもオチはないぞ。