日常会話にボケなんていらない

佐賀。

コミュニケーション理論の話。

会話といえば、ボケとツッコミ。

俺は生粋のツッコミ人間なのだが、ボケる奴は滅びればいいと思っている。

ユーモア=ボケだと思っている奴が多すぎる。

日常会話にボケなんていらない。

ユーモアだけがあればいい。

俺はツッコミというのは視点の転換だと思っている。

物凄く何気ないことだけど、これってこういう見方をすると面白くないですか?

誰も気がついていないことに真っ先に気がつく。

常にアンテナを立てておく。

観察力。

洞察力。

いろんなものを見ておく。

人の家に行くことがあったら、これはなんですか?で延々と会話できる。

ボケはなぁ……そんなにボケたいですか?

ボケ単独で成立するボケ、つまりユーモアならいいですけど。

ツッコミを必要とするボケは嫌いですね。

生粋のツッコミ人間だからどうせツッコミを入れるんだけど、俺は嫌い。

俺を巻き込まないでほしい。

「こいつツッコミをしてくれるし、自由にボケたろ」

勘弁して下さい。

そっちはそっちのタイミングでボケているけど。

ツッコミはボケに対してノータイムでツッコミを入れるんですよ。

難易度が違いすぎるでしょ。

俺のツッコミは視点の転換というのは全然伝わらないかもな。

例えツッコミもそうだけど、それってつまりこういうことですよね。という思考のジャンプ。

こういう見方、こういう捉え方も出来ますよというのが面白い。

ツッコミは奥が深いですよ。