ブログを15年も書いていて。
俺って本当は理系ですよねっていう話。
1+1=2は1000年前も1000年後も同じ。
それは未来永劫に渡り不変のものである。
ところが言葉はどうだろうか。
俺は果たして1000年前の人とふつうに会話ができるだろうか。
1000年後の人と会話が噛み合うだろうか。
言葉は常に揺らいでいる。
言葉の意味は変わっていく。
学者が納得しなくても、言葉が変わっていくことは止められない。
最近それがたまらなく嫌なのだ。
変わるからおもしろいんだ。
そう思っていた時もある。
でも今は変わることが許せない。
文章にしたってそうじゃないですか。
いい文章、悪い文章って、誰が決めるんですか。
99人が悪い文章だと言っても、1人がいいと言ったらどうなりますか。
数の論理で決まるんですか。
許せない。
誰が決めるんだ。
いい文章って。
俺が夏目漱石より劣っている理由はなんだ。
いい文章が書きたい。
でもそれは、あやふやで曖昧な評価基準によって決まる。
本来俺は国語より数学が好きなはずなんだ。
数学はうつくしい。
ただ悲しい哉、俺は頭が悪すぎたのだ。
国語は日本語ができれば十分に点が取れるし、他の文系は暗記。
文系はアホでもできる。
というかアホな奴のために文系がある。
頭のいい人たちは理系へどうぞ。
俺はバイトばかりして塾に行かなかったのが敗因。
解らなければ、何度でも何度でも教えてもらえばよかった。
アニオタと同じ大学に入れていれば、全く違う人生になっていただろう。
これが神の望む人生なのですか。
まぁ、7年かけて卒業したアニオタもずっとバイトで趣味三昧な訳で、学歴ってなんだろうって思う時もあるけど。
コツコツ単位さえ取れていれば卒業できるんだから、高校よりは楽だろう。
クラスがいらない。
クラスメイトがいらない。
学校に友だちを求めていない。
15歳の少年は、その先に待ち構えている地獄の日々をまだ知らずにいる。
同じレベルの学校でもクラスメイトが違えば。
もっとたのしく学校生活を送れたのだろうか。
工業高校は数学が算数レベルだって聞いたけど、そっちの方がマシだったのかな。
俺の高校はガチ最低レベルの一個上だったからな。
俺も算数がよかったなぁ。
算数は俺でもギリギリ解っていた。
小学校の時の国語は毎回のように100点。
でも漢字が覚えられないから裏の点数は悪かった。
文章読解で解らない問題は基本的になかった。
でも日本語ができる人ならふつうですよね。
高校の時のテストで俺が休んでいた時の授業ででた問題が国語で出題された時はむかついたなぁ。
国語って漢字以外は全く勉強しなくてもいい点数が取れる唯一の科目だったのに。
今でもたまにむかつく。
授業に出席していることが前提の問題っておかしいだろ。
数学はそんなことないでしょ。
独学で勉強してもテストでいい点が取れる。
数学は合理的だ。
卑怯な問題のだされ方はしない。
捻った問題でも考えれば解る。
世界史の教師は、自分がつくるテストは絶対に100点が取れないようにつくっているとか言っていて、教師って変な奴ばっかりだなぁって思った。
世界史で横文字が指している人物は誰であるかという問題で、そのまんま直訳した奴が続出したから少し点数をあげるとかいう時もあって、なんてバカな高校なんだと思ったね。
だから文系はアホでも点数が取れるんだよ。
アホでも大学に入れるように文系がある。
文系なんて本当はなくてもいいんだよ。
どうでもいいじゃんべつに。
文学も歴史もそれがなんですか?
それがないと生活が困りますか?
でも俺が完全に理系だったらブログは書いていないですね。
今より苦しい生活だったでしょう。
だから俺はこれでいいんだ。
少しでも合理的に生きたいという、ただそれだけです。