悲しい宝もの

「あんまり言いたくない時間」の重さは、人のこころにとっての「悲しい宝もの」であると書いてくれたのは少し救われた気分になった。

過去の悲しい記憶を宝ものであるなんて考えたことはただの一度もなかった。

文章によって人の心が許されることがあるという事実。

言葉の持つ力。

今日のダーリンを読んで改めて感じている。

俺にもいつかそんな文章が書けるかな。

俺の場合は俺を許すために書いているので、読者様がどう思うかは全く解らない。

少しでも人のためになる文章が書きたいと思うけど。

人のためになる文章ってなんだろう。

俺のブログは何かに寄せ始めたら終わりだと思っている。

今日のダーリンに寄せ始めたら終わり。

俺はどこまでいっても俺なことに価値があると思っている。

どこを切っても俺。

糸井重里もどこを切っても糸井重里

自分の世界観ができあがっている人。

俺も苦しい人生を生きていく中で自然と世界観はできあがった。

誰にも俺のマネはできない。

時に誰よりも明るく。

時に誰よりも暗い。

この振り幅の大きさが俺。

悲しい宝ものをいくつも背負うことになったからこそ書けること。

そういう人間にしか書けないものがあると確信している。