誰が行くか上海

書くことないからサラダ記念日を読んでいたら。

シャンハイで思い出した。

これは今まで誰にも話したことのない、それでいて凄くどうでもいいことです。

社会のテストでシャンハイが答えだったんですね。

それを俺は上海って書いたんです。

そう書いたら返却されてバツだった。

おかしくない?

そもそも厳密にいえばシャンハイというのは日本語であり、上海は現地の言葉である訳で、俺の方がむしろ正しいでしょう。

未だに思い出す理不尽な記憶の一つ。

学校生活がたのしかった人はいいですね。

戻りたいあの頃がある人はいいですね。

俺は同窓会は二度とでないから。

前回は先生方に対する最後の御恩返しと思ってでたけど。

なんか知らんけど、同級生以上友だち未満の奴がずーっと俺と話をしていたから孤立することはなかった。

昔の友だちとは全員縁が切れていて、そういう奴らってのは同窓会になんて俺が呼んでも来ないんですよ。

だから俺もこれ以上は参加するのをやめる。

友だちに会いに行くのに友だちが来ないんじゃ意味がないでしょう。

一人だけ会いたかった奴がいたんだけど、前日に同級生以上友だち未満の奴と飲みすぎて当日に来られなかった。

小4の時の親友といってもいいだろう。

なんで仲がよくなったのかも覚えていない。

いかにも小学生的な仲のよくなり方。

俺の絶頂期なんじゃないか。

俺は今後、あの時を超えられない。

ただ生きているだけで、たのしかった。

ただ息をしているだけで、うれしかった。

超えられる訳がない。

9~10って最後の子供時代なんですよ。

11や12とは違う。

絶頂期とはいえ戻りたくはないよ。

俺に戻りたい過去なんてない。

それだって人生の他の時期に比べれば比較的マシというレベル。

だって俺、小4より今の方がマシだと思っているもん。

学校に行かなくていい、勉強もしなくていい、テストもない、理不尽な先生も親父もいない。

今、俺にできないことは何もない。

貯金は100万以上ある。

富士山がきれいに見えるところでキャンプをしてもいい。

やらないだけ。

食べ歩きをしてもいい。

やらないだけ。

ミスチルのライブに行ってもいい。

やらないだけ。

べつに引きこもっている必要はない。

年金が貯まり続けるだけ。

いつか来るその時のために年金が貯まり続けるだけ。

シャンハイから遠くまで来たもんだ。

俺はブログでだらだら喋りをしていますからね。

リアルではできないので。

夜の分も何も考えていません。

またサラダ記念日を読んで何か思いつくかも知れません。