100万人に読まれるということは、圧倒的マジョリティのセンスで書かないといけない。
雨の日と水曜日は、シャツにアイロンをかけるは、圧倒的マイノリティのセンス。
100万人には刺さらない。
10人には刺さるかも知れない。
センスは生まれ持ったもの。
俺が糸井に勝てないのはセンスで負けているから。
センスは足の速さみたいなものだ。
がんばっても、最初から足の速い奴には敵わない。
ポルノのハルイチは、小学生の時の作文で先生を泣かせたみたいな話を聞いたことがあるけど。
センスのある奴は小学生の時点でそれだけの文才がある。
だから俺のブログは100人には読まれても。
100万人に読まれることは有り得ない。
100万人って大げさすぎ?
10万人くらいでも結構な金が入ってくるの?
俺あと5万くらいほしいんだけどなぁ。
5万稼ぐのに何万人アクセスしてくれればいいの。
万人とか言っている時点で程遠い。
1000アクセス到達するのに何年かかるか……。
1万は死ぬまで書いても無理なんじゃない。
絶望的にマイノリティなセンス。
俺はべつに自分の基礎文章力が低いとか、特別センスが悪いとは思わない。
ただ、とにかくマジョリティには刺さらない。
だって今の流行りが何かも解らないもん。
流行りがあいみょんで止まっている。
トレンドを知らない。
時代の最先端を知らない者がマジョリティに刺さる文章が書ける訳がない。
逆に言えば、俺の文章はいつまでも残る。
最初から古いから。
流行りの言葉を使わない。
何十年後の人間が読んでも理解できる。
基本的には辞書に載っている言葉しか使っていない。
流行り言葉を濫用しているマンガもあるけど、古くなるのも早いだろうなと思う。
今の若者が使っている言葉と、10年後の若者が使う言葉は違う。
「今」にだけピントを合わせすぎると、すぐに古くなる。
俺は元から古いのでなんのダメージもない。
朝ドラの記事は何十年前はそんな話だったんだねという、過去の記録になる。
どんどん古くなってくれて構わない。
それは時代が流れているということだから。
俺のブログが100万人に読まれないのは、新しくないから。
俺のセンスと共鳴するって、よっぽどのことですよ。
流れてきたやしの実をひろって、遥か遠い海の向こうを想像するような。
そういう世界観。