雨の日と水曜日は、シャツにアイロンをかける

雨の日と水曜日は、シャツにアイロンをかける。

俺が電波な人間であることの象徴かのように、このフレーズを引用しているけど。

まぁ、実際そうなんだから仕方ない。

記事の最後の方は詩になることもある。

詩という言葉を使うのは逃げでもある。

だって詩は何を書いても許されるもんねという、言い訳に使える。

実際問題、詩と電波の違いはなんなんだと問われると曖昧である。

意味があって詩を書いている時もあれば、よく解らずに書いている時もある。

アウトプットの意味不明さを詩と呼んでいる時もある。

俺って朝ドラの話以外は何も考えずに書いているからさぁ。

朝ドラはあらすじを書いて感想を書くっていう解りやすい構造になっているけど。

こういうフリーの何を書いてもいい記事はすぐ電波を受信する。

俺のセンスが電波だから仕方ないんだよな。

だって俺の記事は俺が好きなように書いてある訳だから。

俺が読んで一番たのしめるように書いてある。

そうなると適度に詩が必要になる。

うつくしい文章には詩が必要。

要するに、俺がそういう文章が好きというだけの話なのだ。

だから、ほとんどの人間は俺の文章について来られない。

意味不明すぎて。

100万人は全速力で逃げていく。

数人じゃないですか、残ってくれたのは。

0人じゃないだけで奇跡なんじゃないですか。

シャツにアイロンをかけておくものですね。

これで今日はパリッとした格好で人前に出られる。

よく晴れた水曜日は、カフェテラスでアイスコーヒーを飲む。