雪の日と木曜日は、さようならも言わずに別れたあの子を思い出す

要するに俺は詩が好きなんだよな。

唐突に詩が始まるから意味が解らない。

他人の詩というものは、つまらない。

俵万智だって、つまらない短歌は山ほどある。

俺の詩は100万人には刺さらない。

そもそも詩だけで100万人に刺さるものを書ける人がいるのかどうか。

作詞でミリオンセラーを出した人は刺さっているか。

作詞も才能だからな。

才能、センス、生まれ持ったもの。

技術はがんばれる。

俺も細かく加筆修正をくり返す。

才能は体、センスは服、技術は見えない部分。

つまり俺の細かい加筆修正は、多くの人間にとってなんの関係もない。

読みやすく読みやすく、もっと読みやすく。

それは、多くの人にとって些末なこと。

今日のダーリンに一撃で粉砕される。

なんのために書くのか。

俺自身がうつくしい文章を読みたい。

だから、書く。

詩というものは。

流れ着いたやしの実に何を思うかなんだ。

あ、やしの実が落ちているで終わりなのか。

故郷を遠く離れて流れ着いたやしの実に、感傷を覚えるのか。

書くのがセンスなら。

読むのもセンス。

100万人に受けるセンス。

10人に受けるセンス。

俺は10人に受けるセンスの文章しか書けない。

その10人の中でも俺の詩をどう評価するのかは意見が分かれるだろう。

詩はセンスの塊。

これが俺という人間ですと言っているようなもの。

技術だけでは説明できない領域のお話。

何もない海を、孤独に漂っているやしの実の気持ち。