俺が2年ぶりに村上春樹の短編を読み終えた日に。
中田が、ドライブ・マイ・カー(村上春樹の短編が原作の映画)の話をしているんだが?
何このシンクロニシティ。
俺はいつも無駄なところに運を使っている。
中田が言うにはかなり、おもしろいみたいですね。
あの短編を薄めずに3時間?
あんまり見たくはないけどね。
そもそも、どういう短編だったかほとんど憶えてない。
タバコを吸う女に、主人公が「命取りになるぞ」って言ったシーンだけ記憶にある。
女がタバコを捨てた時、~という場所では当たり前のことなのだろうという文章があって、それが実際に存在する地名だったんでクレームがきて、単行本では名前を変えたんだよね。
なんか凄い名前だったのを憶えている、これなら絶対に存在しないだろうって感じの。
中田がぽろっと村上春樹の話の筋はどうでもよくて、エッセイなどはウイスキーを飲んだりするシーンが好きって言ったのにイラッとした。
「話の筋はどうでもよくて」
だから、好きなものの話は聞きたくないのよ。
何を言いだすか解らないじゃん。
もちろん、作品のたのしみ方は自由です。
俺なんかは逆に、酒の話とかは読むだけで何も考えない。
知らないから。
想像もしない。
カティーサークって字面を追うだけ。
それがどういう酒なのかは考えない。
音楽も、知らない、考えない。
例え話もよく解らない。
俺の教養がたりないのだろう。
世代が違いすぎるのもある。
それでも、おもしろい。
それでも、成立する。
酒も音楽も車も映画も、知識があればもっともっと、おもしろいのだろう。
そういう部分をたのしむ人もいるんだね。
俺は文体をたのしむ。
主に比喩表現。
天才的比喩表現なのだが、悲しいかな、酒も音楽も車も映画も知らないのだ。
それで例えられても困る。
だから、なんとなく字面を追うだけ。
映画や小説は、タイトルでなんとなく雰囲気を感じるだけ。
映画は(急に本題に戻る)ネットフリックスの新着できたらチェックする(かも)