三十路オーバーの男が二度も泣いた日

まず、耳をすませばの録画を今さら見て今さら泣きました。通算で4回くらいはすでに見てると思うのだけど、初めて泣いた。何でだろ、自分も今恋愛の真っ最中だからだろうか。後半、じーさんが昔の恋人の夢を見てるあたりから泣けて仕方ない。暖炉の薪が消えて夢も消え、現実に引き戻されるが、店のドアが開いて小説を書き上げた雫を一瞬昔の恋人かと錯覚するシーンとかマジたまらん。あんなもん泣くしかない。ほんとに泣く時って泣こうと思って泣く訳じゃないから、一気に両目からすーっとあごまで流れ落ちるんだよね。そんで自分でもびっくりして「あれ?俺なんで泣いてんだろ?」ってなる。これって大人あるあるなんだろうけど、だんだん若い主人公たちより大人キャラの方に感情移入しちゃって、大人たちのセリフの方に共感することの方が多くなるんだよね。もっと安全な道を選べ、茨の道に足を踏み入れるんじゃないって思っちゃう。だから少年マンガってあんまし読めなくなるんだよね。それでもたまには勇気を思い出すために読みますけどね。というか、今回このアニメを見るのにも勇気がいりました。だってあの頃の未来に僕は全く立てていないですから。見てて辛くなるだろうなって見る前から解ってた。だから最近ジブリって録画しておいても最後まで見られない。辛くなるから。何かもう色んな意味で泣けたわ。

そして稀勢の里。もう時間前から泣いてました。負けて絶叫。俺がスポーツや格闘技で泣くことはない。そもそも興味ないから。俺が泣いたのは怪我を押して稀勢の里が二度目の優勝を果たして思わず男泣きした時、俺も泣いた。でもそれが相撲人生の分岐点になってしまった。あそこで無理をしたせいでその後に大きく響き、長く尾を引くことになってしまった。これを今書いている段階では稀勢の里がどういう決断をするのかはまだ解りません。苦しい相撲だったがそれでも勝った白鵬を見て、相撲の神様が愛してるのは白鵬なんだなって思った。神はいつも試練を与える。ある者はそれを乗り越え、ある者はそれを乗り越えられない。乗り越えられなかったからダメなんじゃない。試練という壁があまりに高く硬く冷たく無慈悲だっただけだ。

恋も仕事も人生も、ああなんて泣けることばかりなの。

悪意

俺が基本的に体を張ってまで助けたいと心から思えるのは子供だけ。子供には悪意がない。邪気がない。だから無邪気なんだ。ニコニコしている可愛い子供を見捨てられる訳がない。俺は別にいつ死んでもいい。どうでもいい大人にまで命をかける気は更々ないが、子供は別格。小学生くらいまでは俺が全力で守ってあげる。

なぜ大人を助ける気がないか。大人には悪意がある。基本的に善良な人間であったとしても必ず悪意を隠し持っている。自覚していようがいまいが、悪意を有さない大人などいる訳がない。俺は常に他人の悪意と対峙してきた。そして人間という存在のレベルの低さに辟易してきた。こんな奴らは生きるに値しない。いつ死んでもいい奴ら。だから俺がわざわざ助ける必要はない。子供と同じレベルの純粋で美しい心を持った善良な人間がこの世にもし存在するというのなら話は別だが。若菜さん、君はかなりレベルが高い。君だけは今現在別格だ。他の奴らは知らん。

悪意との戦い。もちろん悪意は俺の中にもある。いつ何時ダークサイドの虜になってもおかしくはない。俺もまた、いつ死んでも構わないレベルの人間に過ぎない。少しでも善良な人間であろうとはしているが、そもそも善良が何なのかよく解らなくなる。戦争で敵兵を100人も殺せば英雄だが、平時に100人も殺せば恐るべき猟奇殺人者。誰かや何かを守るには力がいる。奇麗事だけで人は守れない。国家は守れない。正義とは何なのか?正しさとは何なのか?

悪意。悪に意のままにされてはいけない。自分の頭で考えるんだ。自分の感性で決めるんだ。もしまた苦しむ人が傍にいた時、俺がどう動くべきか。

何度も何度も問いかける。俺はどう生きたいのか。どう成りたいのか。どう在るべきなのか。

現代の僕らに刀はありません。心の中にしか刀はない。いつ悪意と対峙することになるか解らない。躊躇うな。諦めるな。自分には何も出来ないなどと思うな。

強くなれ。

強くあれ。

強く生きろ。

本命なのか本当に迷う、本迷に命を本当にかけられるのか

若菜さん、あなたのような人は二人といない。しかし現実に会うことは出来ず、実際に顔を合わすことが可能なのは別のそれっぽい女だけ。

人生だってあなたがいなくちゃ味気ない、そうでしょう?俺の人生にはただ君だけがいればいいはずなんだ。どうしてこんなに遠回りをしなくちゃならないんだ。

去年の夏、深夜。土手での運動に向かう道中での話。交番の前で男に絡まれている若い女がいたんだが、俺はその時に自転車でスルーしてしまった。若い女はちらっと俺の方を見たが、見て見ぬ振りをして横を通り抜けた。理由(という名の言い訳)は色々ある。まずそもそも交番の前だし、警察官は近くにいるだろう。パトロールに行っててもじきに戻るだろう。当時の俺は103キロのピザデブで、まともにいきり立ってる男と取っ組み合い出来るだけの自信もなかった。その男女が普通のカップルで単なる痴話げんかの可能性もある。男はだいぶ年上に見えたので、親子か親戚の可能性もある。その男女間に俺がわざわざ自転車を止めてまで割って入るべきなのか?俺はしばし逡巡し、やっぱスルーした。通り過ぎてから警察官っぽい奴の「何やってんだ」という声が聞こえ、事態は収束したように思えた(たぶん)1時間後、土手での運動を終え同じ道を通ったが、何事もなかったかのように静まりかえっていた。交番の中をちらりと覗いたが、誰もいなかった。きっと大事には至らなかったのだろう(たぶん)ちなみに去年末、地元の駅でとある事件が起きた。いつ何が起きるか解らない。

これがもし若菜さんが絡まれてたら、俺は死んでも割って入らなきゃならないんだと思う。見ず知らずの人に命をかけられるほど俺はお人好しじゃない。子供を守るためなら見ず知らずの子でも守って死んでもいい。だが、他の奴は知らん。俺が一番辛い時に誰も助けてくれなかった「その他大勢」の奴ら。だから俺も助けない。でもその時に気が変わるかも知れない。それは解らない。あの若い女はもしかしたらとある場所で顔を合わせたことのある人だったような気もする。とはいえ顔を見たことがある気がするだけで、お互いの名前は知らない。もしあの女が知り合い(のようなもの)にスルーされたことを気に病んで、深夜に男に絡まれたプラス知り合い(もどき)に助けてもらえなかったと人間不信になってるかも知れない。何で俺がここまで考えなくちゃいけないんだ。俺はやっぱり根が真面目すぎる。人生を楽に生きられない。

男女平等。けれど、男と女では腕力で圧倒的な差がある。やはり俺はあそこで割って入るべきだったのか。

俺は悪意に対して、どこまで立ち向かえばいいのか。

泣きたい。

俺は誰も助けられない。

やたらとシンクロニシティ

去年末に買ったまんま全く手をつけずに放置してたゲームをようやく開始したんだが、何かどのキャラを使ってみてもピンとこなくて、およそこのキャラだけは使わないだろうなって思ってたキャラを試しに使ってみたらハマってしまった。そのキャラは非常に特殊な存在で、あんまり言うと個人情報に繋がるから言いたくないんだけど、マコと同じ名前なのね。びっくり。一昨年からゴチャゴチャ言ってる例のツインレイを想起させるようなキャラクターなんですわ。あわわ、やたらとシンクロニシティ。何でシンクロするんですかねぇ。俺の本命は若菜さんなんだろ?そうなんだろ?このマコとかいう女はフェイクなんだろ?おいそうなんだろ?

神はいる。運命はある。でも俺をどうしたいのかは、未だにさっぱり解らない。

会えなくて会えなくて震える(物理)

完全に恋愛抜きでも十分に死ねるほど辛い。

辛くて辛くて震える。

苦しくて苦しくて震える。

西野カナって散々この会いたくて会いたくて震えるでバカにされてっけどさ、普通に考えたら震えるのは体じゃなくて心じゃない?よくある比喩表現でしょこれ。両手を胸に当てながら「ああ、会いたいよ・・・」って呟くシチュエーションでしょこれ。心や胸がと明言はされていないけど、行間を読むんだ!共感を呼ぶんだ!でも精神じゃなくて物理で震えてそうなのが西野カナの作詞センスなんだよなぁ。真実はカナのみぞ知る。
 
ちなみに今、寒くて寒くて震える(4時44分)

寝ても覚めても

何かに強い執着を示すほど、人は異常と思われる。特定のものが好きならオタク、人の場合は最悪ストーカーになってしまう。

だけど私は思うんだ。寝ても覚めても好きなものがあるのって幸福なんだろうなって。自分はそういうの全くないからさ。

ドラえもんバガボンドミスチルYUKI村上春樹任天堂のゲームなど、私が昔から大好きなものってそりゃいくつもあるけどさ、別に寝ても覚めてもそのことを考えている訳じゃないし、毎日それにふれる訳じゃないし、新作の発売日を指折り数えたりすることもない。あると嬉しい、ないと悲しい、そういうレベル。晩ご飯の好きなおかずレベル。

寝ても覚めても忘れられないのは、若菜さんだけですね。あの人だけは本当に、生まれて初めてと最初で最後の一世一代だから。寝ても覚めても後にも先にも、そういった類いの女の子なので。

むしろ若菜さんには会えなくて良かったと思う。マジで最悪ストーカーになる。すでに何回か会社の近辺をうろついてるし。もうダメ。

でもさ、そういう寝ても覚めても大好きなものがあるからこそ人生に意味が出来るし、張り合いが生まれる訳じゃん。

もっと何かを好きになりたい、もっと人を好きになりたい。

好きなことが沢山あるほど、人生をもっと楽しめる。

ああ、寝ても覚めても・・・。

親は子を育ててきたと言うけれど、勝手に赤い畑のトマト

親は子を育てているのは事実ですけど、子に親が育てられている部分も多いと思うのよね。

そもそも結婚や出産を出来るレベルの人間ってのは、あんまり苦労をしてないんですよ。仕事もバリバリやってる、大きな病気を患っている訳でも身体が不自由な訳でもない。全員が全員とは言いませんよ、もちろん。そういう傾向が強いという話です。

子供の頃から苦労しかしてなくて、心身共に限界の限界までぶっ壊れて、今現在働くことさえままならない私が、じゃあ結婚や子供をつくれるかっていうとそんなことは夢のまた夢な訳です。苦労しかしてこなかった私みたいな多くの苦労人にとって、結婚なんてのは一生できないんですよ。したいとかしたくないじゃなくて、そもそも出来ないし無理なんです。結婚を現実的に考えられる、または結婚を実際にした時点で十二分に人生イージーモード。そういう人は恵まれた人生を送れた方々です。

昨日のとんでもない親を見て驚愕したけど、やっぱり苦労して生きてこなかったんだなぁってのがよく解る。人に対する優しさや寛容さがまるで見受けられない。うちの親父もそうだったけど、自分が出来ることは他人も出来て当然だと思ってる。それでいて自分が出来ないことについて縁の下の力持ちが陰ながらフォローしてくれていることに感謝がない。そもそもフォローに気が付いていない。レベルが低すぎてお話になりません。もう死にましたけど、私がこの世で最も嫌いな人間の一人でした。今も嫌いです。社長をやっていて対外的には素晴らしい父親に見えたのかも知れないけど、仕事人間で家庭を顧みることもなく病気なのに病院も行かずに無理して早死に。最初から最後まで好き勝手に生きてきた人間なんだなって感じ。学生時代の話を聞いても、地頭が良くて大した努力もせずに勉強はよく出来たそうな。私がガキ頃から学校のお勉強が出来ないというだけでどれだけ苦労したと思ってんだ。それが今後一生響くんだぞ。で、うちの奴がどーだったかといえば、恵まれた頭脳を持ちながらも努力しないで遊びほうけているから上には行けない。行く気がない。向上心がない。生まれ持っての要領の良さと世渡り上手が功を奏して社長になれただけ。そもそも零細企業だしね。

何だかね。親って何なんだろうね。うちは父親も母親も人生イージーモードの連中だから私と話が全く噛み合わない。そりゃ、結婚して子供が出来りゃ人並みに苦労するのは当然ですけど、ほとんど苦労してるように見えなかったな。私と決定的に違うのは肉体と精神の健康レベル。体が資本ですからね。頑丈で屈強で健康なら、何でも出来るんでしょ。私だってもしそうなら今頃バリバリ働いてますよ。それが不可能なのは体が病弱だからです。先天的なものと後天的なものが両方。ゴミクズ以下の反吐の人間関係により精神は崩壊し、二度と正常な精神には戻れない。生きているだけで奇跡。いつ死んでもおかしくないと思ってる。親父はよく言っていた「俺は自殺を考えたことは一度もない」とな。全く苦労していないのが見え見え。本当の絶望を知らないのでしょうね。本当の裏切りを知らないのでしょうね。人生は山あり谷あり?笑わせんな。私はずっと谷底の光すら差さない闇の中で生きてきたんだ。今もそこで生きているんだ。毎日死ぬことしか考えられない。精神だけじゃない、肉体の絶不調も含めてだ。人生の全てが苦しみでしかない。物理的に痛いんだ体が。比喩じゃないんだ。例え話じゃないんだ。痛い。痛い。痛い。苦しい。苦しい。苦しい。

親がどうあれ、私は真っ赤なトマトに育ったと思ってます。それは親のおかげじゃない。今までの全ての人間関係には怒りしかない。

私の自己肯定感はマックスです。私は自分が大好きです。それは親のおかげじゃない。親には愛されなかった。親には認められなかった。だから自分で自分を愛するしかなかった。自分で自分を認めるしかなかった。

酷い人間たちばかりを見てきたから、相対的に自分をマシだと少しずつ感じるようになってきて、それが31年も経てば、自分は素晴らしい人間なんだと心から信じられるようになった。私は人を許せるし、人に寛大だし、人の話もちゃんと聞けるし、人の意見に否定から入らないし、人の趣味嗜好・思想と感性を理解しようと心がける。私は親とは違う。

人生が辛ければ辛いほど、真っ赤なトマトに育ちます。大丈夫。あなたは何も悪くない。親が何だと言うんだ。親なんて関係ないよ。

大丈夫。絶対に大丈夫。自分を信じてさえいれば。

私も、あなたの隣のトマトです。

普通

近所のスーパーに行ったら、母親が6歳くらいの息子に「障害!障害!」ってキレながら何度も言ってて戦慄したわ。

最近はNHK発達障害の特集をやったりして、昔はただの「変わってる子」で済まされてたのが実は歴とした病気なんですってのが少しずつ知られてきてはいるけど、よもや親の側が実の子に対して「障害!」という誹りを与えるとは信じられん。何という世の中。

その親子は一分くらいしか傍にいなかったから詳しくは知らんけども、特定の何かに対して強い執着を示す息子に対して母親は激烈に苛立っていたようだ。その強い執着に対する侮蔑の言葉として障害というフレーズを用いたらしい。

仮に、普通という概念に対する対義語を障害とするならば、実の子に向かって何度も何度も「障害」という言葉を投げかける親は果たして「普通」なのだろうか。

普通って何でしょうか。僕は自分が普通とは全く思っていませんが、世のマジョリティが「普通」とも思っていません。僕も含めて「異常」な人たちが大多数だと思ってます。あなたも特定の何かや人に依存や執着をしていますよね?酒、タバコ、ギャンブル、ゲーム、異性、その他あらゆる娯楽や趣味や快楽。病名が与えられていないからって普通じゃない奴なんて山ほどいるからね。法に触れないからって普通じゃない奴なんて山ほどいるからね。人の振り見て我が振り直せ。君の普通は人の異常、人の異常は君の普通。世の中には色んな人間がいる。あなたもその色んな人間の内の一人。決して安易に「自分は真っ当な普通の人間である」などと過信しないことだ。

ほんとは普通に生きるのが一番むずかしいのにね。

無神と無心と無人と不信と不振

神はいるんだろうが、俺を救う気はないらしい。

信じる者しか救わない神に用はない。

俺はただ俺だけを信じる。

いつまでもいつまでも俺だけを信じ切る。俺だけを信じ抜く。

もう誰も必要ない。

もう何も必要ない。

この世には俺だけがいればいい。

夜明け前

晦日はホントに年越しそばを食っただけだな。仕事で忙しかった訳でもないのに、紅白も笑ってはいけないも何も見ずにすぐ寝た。んで、夜明け前に起きた。

元旦の今日だって別に正月らしいことは何もしないだろう。初詣も行かない、おみくじも引かない、誰にも会わない。

私の人生は、いつだって夜明け前。真っ暗闇の人生。

私にとって、明けの明星はどこにあるのでしょうか。

まばゆいばかり太陽の明かりなんて、贅沢は言わないよ。静かに、けれど強く輝く、明けの明星があればいい。